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雪中行軍の遭難

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 三十二年二月二十日、第七師団独立歩兵大隊および工兵中隊の藻岩山雪中行軍が、区内中学生、師範学校生、札幌農学校予科生等を参観させる形で実施された。第七師団の雪中行軍の目的は、翌三月六日に予定されている長途雪中行軍の行李糧食等の運搬を実地に試してみることにあった。ところで、この雪中行軍に参観した札幌中学校生徒は二一八人であった。一行は午前八時に豊平橋畔を出発し、山鼻村西端藻岩登山道より登りはじめ、西国三三番観音を目印に頂上を目ざし、およそ五時間後には頂上に到達した。帰途は道を東にとり、山鼻兵村の南端に出るよう指示されていた。ところが、天候が急変し南の烈風が横なぐりに吹きつけ、前者の足跡さえ見えない状況となった。そんな悪天候のなか、ついに道を失い、崖下にひとかたまりとなって転落するといった大惨事がおこった。このため、札幌中学校生徒のうち死者一人、重傷者一人、独立歩兵大隊負傷者一八人を出すにいたった。同年九月、札幌中学校生徒の死を悼んで豊平共同墓地に札幌中学校校長矢島錦蔵の名で墓碑が建てられた。この遭難事件は、弘前歩兵第五聯隊が八甲田山麓で遭難する三年前のことである。