区制第一九条で、区は規則をもって「臨時若クハ常設ノ委員」を設置することができるとした。委員は名誉職で、区会議員と議員以外の選挙権を有する公民から、区会において選挙し、必要により学識者がこれに加わり、区長か助役が委員長となる組織である。区制では区行政の機関として位置づけたが、実際はむしろ区会の付属組織として機能し、区会運営上はもとより区政施策の面で大きな役割を果たすことになる。
区制全般にわたる事項に関わったのが常設委員会であった。これは明治三十三年十二月の第七回区会において、花村三千之助議員が区制改正、区有財産造成、道路溝渠、公園設備等広範な経営調査を建議し、議長が一三人の調査委員を指名したことに始まる。そこで常設委員規則を設け、区会議員三人、公民四人を三十四年一月二十八日初めて委員に選挙し、区税賦課徴収、納税者調査、区有財産、道路溝渠、衛生等の設備計画を検討することになった。のち区会議員からの委員数を増し、年五、六回の委員会を開催したが、多い年は十数回に及んだ。
区制施行以前からの委員制度を改組し継承したものに、区学務委員会がある。道庁では「区ニ属スル国ノ教育事務ニ付区長ヲ補助」するため、明治三十二年十一月二十五日従来の学務委員規則(明治二十八年庁令第四六号)を改正するとともに、新たに区学務委員規則を定めた(庁令第一〇四号)。区会では区学務委員の組織任期等に関する規則により、三十三年一月十六日区会議員から三人、公民から二人の委員を選出し、他に区長が任命した区立小学校男教員二人が加わり、新しい区学務委員会が発足した。のちに区会議員、公民の両委員が増員となった。
常設委員会の任務から土木建築案件を分離独立させて設置したのが、常設土木委員会である。「凡ソ土木ノ事業タルヤ、区ノ最モ重要ナル事務ニシテ、而モ区ノ発達上ノ原動力タルヘキハ敢テ言ヲ俟タス。然リ而シテ該事業タルヤ稍モスレハ表裏相反シ、種々ナル弊害ノ之レニ随伴シ易キモノナルヲ以テ、将来一層之レカ確実ヲ期スルカ為」(札幌区事務報告 自明治三十五年十月)と単独委員会の必要を説明している。初の委員選挙は三十六年四月二十日に行われ、区会議員から四人、公民から三人が選ばれた。のちに増員となるのは区学務委員と同じである。この三委員会が区制期間恒常的に活動した。たとえば学校の新改築を協議する場合、予算は常設委、建築は土木委、教育内容は学務委にまたがるので、関係委員会の合同会議がもたれることもたびたびであった。
恒常的な委員会のほかに、定例的に開かれない委員会や短期的に置かれた委員会がある。伝染病予防委員規則による委員は三十三年九月十八日区会議員から三人、公民から三人を選出し、それに医師一人を区長が選任して発足した。臨時水道調査委員規則は四十三年九月に定められ、区会議員から五人、公民から四人の委員が選出された。さらに大正期になると、公園其他設営調査委員会、公会堂臨時建築委員会、病院臨時建築委員会が置かれ、大正八年七月には臨時経画調査委員会が発足した。これは札幌区の総合的な発展方向を模索しようとするもので、区会議員一六人、公民九人からなり、都市改良、財政、訓育、保健、交通、産業の六部会と主査会をもち、区制を組み替え拡大していく推進母体となった。なお勧業委員の称がみられるが、実態は明らかでない。