一 | 、当地ハ札幌区ニ密接シ住民ハ半官半農的ナリ。村民ノ多クハ都会的生活ニ慣レ、農民ノ子弟ノ如キモ其質実ナル田園的生生ニ満足セズ、徒ラニ華美ヲ追フノ風アリ。 |
二 | 、随テ其思想調和ヲ得ズ。又市街札幌区ト密接セルトコロハ殆ント村ノ住民タルヲ思ハサルモノアリ。之レ施政上ニ最モ困難ナル所ナリ。 |
ここでは「半官半農的」な藻岩村の構成が、「施政上ニ最モ困難ナル所」とも指摘されているが、「境界変更ニ関スル書類」でも次のような同様な言及がみられている。
……札幌区発達ノ余勢ハ漸次隣近各地ニ影響シ、同部落現在ノ状態ハ官公吏若シクハ商人ニシテ農業ヲ主トスルモノ殆ント稀ナルニ至レリ。従テ部落及札幌区ニ接スル区域ノ形勢ハ全ク市街ヲ為シ、現在耕地トシテ使用シツヽアル土地ノ如キモ、尚市街宅地ノ価格ヲ以テ売買セラルヽノ実況ニシテ生活ノ状態ハ勿論、人情・風俗等他部落農業地トハ全然相異ナルニ至リ、為メニ往々両者ノ間兎角円満ヲ欠キ村治上ニ影響スル処不尠。
兵村地区の急激的な市街化はさまざまな問題を惹起しており、市街地と農業地との分離が行政的に急務な課題となってきていたといえる。その一方でも山鼻村はやはり「半官半農的」な農村であり、四十二年の農地は九六九町歩、甜菜、亜麻、馬鈴薯、大豆などの栽培を主としていた。