区町村は成立後日尚浅く、殊に新開の部落多きを以て戸長役場制度の下に在る町村に於ては役場費の総てを地方費にて負担し、其の稍や進みて二級町村制の下に置かるゝものに在りても尚且つ町村長書記の給料旅費を地方費にて負担するのみか、其全総予算に対し若干の補助を為し、更に進みて一級町村制を布かるゝに及び始めて自治の状態に移るものなりと雖も、財政の基礎極めて薄弱にして有力なる財源なく、一方町村区域比較的広大なるを以て、教育費役場費土木費等随て多額に上れり。其の他土地開発の必要上各種組合に属する経費あり。年々組合費として徴収さるゝもの亦決して少なしとせず、斯く歳出の負担重きに拘らず歳入の方面に於ては財源漸く伴はず、直接国税直接地方税の附加によるもの総歳入の四割に過ぎざるを以て、寡少の手数料使用料等の雑収入により毎年の予算編制さるべくもあらず。勢ひ特別税に仰がざるべからざるの状態に立至るなり。其特別税たるや多くは反別割にして、欠くべからざる市町村自体の独立税として過言にあらざるべし。
その実情を白石村と豊平村(町)についてみることにする。白石村に二級町村制が施行された明治三十五年度の決算額は歳入出とも六〇〇〇円弱であるが、第一次大戦後の大正八年度には約八倍に膨張した。歳入の大半は村民に賦課した村税によってまかなわれ、三十五年度は村税が約七割を占めている。大正八年度にその比率が四割強と低下しているものの、インフレーションに増税率が伴わず、多額の村債を抱えた結果にすぎない。住民一人当たりの村費負担は三十五年度に二円三五銭七厘だったが、大正八年度は三円七一銭八厘となった。こうした村費の急膨張は大正八年度から生じ、「欧州戦争以来諸物価の昂騰は、著しく地方費の膨張を来し、各種国税の附加税は悉く其制限に達し、戸数割を初め其他の税率頗る重く、只管新税の設定に苦心せざるべからざるに至」った(白石村誌)。歳出では教育費と役場費が二大科目で、土木費と衛生・病院費が増加していく傾向が読み取れよう(表11)。
表-11 白石村村費 |
歳入 | |||||
年度 | 明治35年度 | 大正8年度 | |||
科目 | 金額 | 比率 | 金額 | 比率 | |
雑収入 | 591円162厘 | 9.9% | 5,022円 | 10.0% | |
前年度繰越金 | - | 0 | 561 | 1.1 | |
地方費交付金 | - | 0 | 200 | 0.4 | |
国庫交付金 | - | 0 | 324 | 0.7 | |
地方費補助 | 443.500 | 7.5 | 57 | 0.1 | |
村税(賦課) | 4,126.002 | 69.3 | 21,514 | 42.9 | |
寄付金 | 106.400 | 1.8 | - | 0 | |
夫役 | 520.200 | 8.7 | - | 0 | |
国庫下渡金 | - | 0 | 903 | 1.8 | |
使用料手数料 | - | 0 | 243 | 0.5 | |
村債 | - | 0 | 8,000 | 16.0 | |
特別会計ヨリ繰入 | - | 0 | 1,025 | 2.0 | |
基本財産支消金 | 168.289 | 2.8 | 12,308 | 24.5 | |
計 | 5,955.553 | 100 | 50,157 | 100 | |
歳出 | |||||
年度 | 明治35年度 | 大正8年度 | |||
科目 | 金額 | 比率 | 金額 | 比率 | |
経 常 部 | 役場費 | 1,313円705厘 | 26.0% | 4,824円 | 24.4% |
経会議費 | 133.486 | 2.6 | 80 | 0.4 | |
土木費 | 273.395 | 5.4 | 648 | 3.3 | |
地方改良費 | - | 0 | 84 | 0.4 | |
教育費 | 2,756.741 | 54.7 | 12,327 | 62.4 | |
衛生費 | 8.000 | 0.2 | 169 | 0.8 | |
衛生補助費 | 30.000 | 0.6 | 1,060 | 5.4 | |
病院(村医)費 | 463.885 | 9.2 | 180 | 0.9 | |
租税及負担 | 3.220 | 0.1 | 45 | 0.2 | |
雑支出 | 61.234 | 1.2 | 81 | 0.4 | |
予備費 | - | 0 | 271 | 1.4 | |
(小計) | 5,043.666 | 100 | 19,769 | 100 | |
臨 時 部 | 土木費 | 519.690 | 69.9 | - | 0 |
教育費 | 223.758 | 30.1 | 29,215 | 96.5 | |
公債費 | - | 0 | 208 | 0.7 | |
公債償還費 | - | 0 | 366 | 1.2 | |
電灯新設費 | - | 0 | 477 | 1.6 | |
(小計) | 743.448 | 100 | 30,266 | 100 | |
計 | 5,787.114 | 50,035 |
豊平村(町)についてみると、二級町村制施行時の明治三十五年度歳入額は八七一四円余であるが、一級町村制を施行して二万円の大台を突破した。しかし大正初年の不況時に一万三〇〇〇円台に下向し、五年から二万円台に回復するが、八年に至り四万六七八四円と急増するのは白石村費と同様である。以後も膨張を続け、区制期末の十一年は六万円台、大正末年には一一万円台に達した。歳入に占める町村税の比率は白石村よりもさらに大きく、八割前後に達した。歳出面でも教育費と役場費がやはり大きく、明治三十五年度を例にとると、前者は六四・一パーセント、後者が一四・九パーセントであった。両町村に共通してみられるように、区制期の町村財務の最優先課題は子供の学校教育の充実であったといえる。札幌支庁では区制期末の町村財務の状況を次のように概括し報告している。
町村住民ノ資力ニ鑑ミ努メテ冗費ヲ省キ負担ヲ軽減シ成功ヲ確実ナラシムルノ方針ヲ採リタルモ、地方ノ開発ニ伴ヒ経費ノ増加ヲ来スハ免レサル所ニシテ、殊ニ欧州戦乱後物価ノ騰貴ニ依リ遽カニ経済ノ膨張ヲ来シ、二級町村制実施当時ノ明治三十五年度ト最近三箇年間(編注・大8~10)ヲ比較セハ左ノ如クニシテ、約六倍半ノ増加ヲミルニ至レリ。(表略)
右ノ内大正十年度ニ於テ最モ多額ヲ占ムルハ、教育費ニシテ三十八万三千九百十九円、役場費ノ十五万五千五十二円、土木費ノ四万二千二百九十八円之ニ亜ク。蓋シ町村ノ区域広濶ニシテ人口亦散在スルカ故ニ、小学校ノ経営ノ如キ必スシモ就学児童ノ多寡ニ依ル能ハス。寧ロ適度ノ通学路程ニ基キ之ヲ設置スルノ要アリ。為ニ一町村少キモ三四校、多キハ十有余校ノ設置ヲ要スルアリ。又役場事務ノ如キモ府県ニ比スレハ錯雑多端ヲ極メ、且ツ辺陬ノ地ニ在リテハ町村吏員ノ適材ヲ得ルニ多額ノ俸給ヲ要スルノミナラス、町村医ヲ置キテ其ノ費用ヲ支弁シ、又道路ハ開拓当時ノ侭ニテ改修ヲ要スルモノ多シ。是レ町村費ノ多額ニ上ル所以ナリ。
飜テ財源ヲ案スルニ、附加税ヲ賦課シ得ヘキ直接国税地方税(戸数割ヲ除ク)ハ、共ニ其額未タ多カラサルヲ以テ特別税反別割ヲ課シ、尚足ラサルモノハ一ニ戸数割附加税(戸別割)ニ依リ補塡スルノ外途ナキカ故ニ、勢ヒ制限外ノ課税ヲ為スノ止ムヲ得サル実情ニアリ。町村ノ基礎ヲ鞏固ニシ其ノ財政ヲ安固ナラシムル為、基本財産ヲ造成スヘク町村ハ各其ノ造成方法ヲ定メ着々其蓄積ニ力ヲ致シツヽアルモ、未タ所期ノ額ニ達スルニ至ラス。
右ノ内大正十年度ニ於テ最モ多額ヲ占ムルハ、教育費ニシテ三十八万三千九百十九円、役場費ノ十五万五千五十二円、土木費ノ四万二千二百九十八円之ニ亜ク。蓋シ町村ノ区域広濶ニシテ人口亦散在スルカ故ニ、小学校ノ経営ノ如キ必スシモ就学児童ノ多寡ニ依ル能ハス。寧ロ適度ノ通学路程ニ基キ之ヲ設置スルノ要アリ。為ニ一町村少キモ三四校、多キハ十有余校ノ設置ヲ要スルアリ。又役場事務ノ如キモ府県ニ比スレハ錯雑多端ヲ極メ、且ツ辺陬ノ地ニ在リテハ町村吏員ノ適材ヲ得ルニ多額ノ俸給ヲ要スルノミナラス、町村医ヲ置キテ其ノ費用ヲ支弁シ、又道路ハ開拓当時ノ侭ニテ改修ヲ要スルモノ多シ。是レ町村費ノ多額ニ上ル所以ナリ。
飜テ財源ヲ案スルニ、附加税ヲ賦課シ得ヘキ直接国税地方税(戸数割ヲ除ク)ハ、共ニ其額未タ多カラサルヲ以テ特別税反別割ヲ課シ、尚足ラサルモノハ一ニ戸数割附加税(戸別割)ニ依リ補塡スルノ外途ナキカ故ニ、勢ヒ制限外ノ課税ヲ為スノ止ムヲ得サル実情ニアリ。町村ノ基礎ヲ鞏固ニシ其ノ財政ヲ安固ナラシムル為、基本財産ヲ造成スヘク町村ハ各其ノ造成方法ヲ定メ着々其蓄積ニ力ヲ致シツヽアルモ、未タ所期ノ額ニ達スルニ至ラス。
(札幌支庁管内要覧 大11・7)