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札幌木材株式会社

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 本節の最後に木材工業を取り上げることにする。札幌は木材集散地としての機能をもっていた。すでに重谷木工所(しげたにもっこうじょ)や後藤木挽所が営業していたが、明治四十年初め頃から重谷木工所を資本金六〇〇万円の株式会社組織にしようとする動きが始まった(北タイ 明40・1・22)。その結果重谷繁太郎中沢彦吉喜谷市郎右衛門谷七太郎宇佐美敬三郎らにより札幌木材株式会社発起人総会が開かれ、株式募集が行われた(北タイ 明40・2・13)。しかし折からの不況によって当初予定した資本金六〇〇万円は一二〇万円に切り下げられ、同年九月から重谷木工所の事業を受け継ぎ営業を開始した。取締役会長に中沢彦吉、専務取締役に谷七太郎、常務取締役に重谷繁太郎松田学が就任した(北タイ 明40・9・9)。
 北五条西六丁目の本社には第一工場四三四坪、第二工場二〇四坪があり、据付け機械は大丸鋸二台、帯鋸三台、縦鋸一台、中丸以下一二、三台であった。蒸気機関の燃料には石炭を使わず木屑を使用したという(北タイ 明42・4・27)。原料である木材の調達は、直接森林の払い下げ、譲り受けをし、製材と停車場までの運搬は、請負業者に行わせる場合と、他人がその所有森林にて生産した木材を停車場渡として買い取るという方法があった。原料供給地は天塩、士別、多寄、名寄、美瑛、幾寅、上富良野、鹿越、島松などで、鉄道により札幌木材本社工場まで輸送し、建築用材、板類に加工し東京、名古屋、道内各地に移出していた(北タイ 明42・4・25)。
 札幌木材設立後、数年間は木材不況が続いた。札幌木材も四十二年上半期(三月~八月)二万六五二七円、四十二年下半期(九月~翌年二月)二〇万二六九〇円の当期損失金を出している(北タイ 明42・11・12、43・5・8)。表11にこの時期の損益計算書を掲げた。四十二年上半期から四十三年下半期までは、収入欄の商品売上総額を支出欄の製材総額が上回っている。また原料(原木)運搬費、製材運搬費は北海道木材工業にとって切り詰めるべきコストの筆頭にあげられている(北タイ 明42・5・1)。ただし札幌木材の原料、製材運搬費は支出額合計の五~八パーセント程度であり、増減傾向は見られない。四十四年にはいると売行きは好転したようで「目下定山渓に於て伐採せるもの約三万石あり日々流送中なるが、去月迄の製材既に五万石近く売払を了し為めに現在積み置きに係るもの皆無の状況なるが、其重なる向き売先きは八分通り区内の取引にて……」(北タイ 明44・6・11)と述べられている。区内建築需要に見合って木材工業発展の余地があったようで、米国に見本を送ったりしているが「何分注文の割に手数が沢山なので引き合わない」という。このほか千歳、名寄方面から木材を調達しており、名寄は鉄道輸送によるが、千歳は冬季に伐採し雪中橇を使用し運搬費の節約に努めたようである(北タイ 明44・10・3)。
表-11 札幌木材損益計算書 (単位;円)
 明42上42下43上43下44上



商品売上総額138,90996,949158,619125,731104,650
製材商品54,97863,04833,70122,21417,498
原料損益25,76532,45232,58815,39212,771
工場挽歩収益19,10517,02223,50817,19213,843
収入利息2,50097374067095
雑収入1,460189316852482
当期損失金26,537202,690
その他717761597743151
合計269,971414,282250,068182,794149,923



製材総額183,701159,854172,952117,66996,872
諸税金1,1561,9111,3911,3991,376
支払利息・打歩9,4677,7908,9284,9393,909
原料運搬費20,26227,27918,72913,8147,437
製材運搬費7,2414,2219,1526,7163,873
本社・出張所経費8,0655,92815,06412,20411,486
工場経費12,09812,73712,49012,36110,379
雑損18,0424,6516,1485,818
当期純益金5,2157,8748,466
その他179,912
合計269,971414,282250,068182,794149,923
『北タイ』(明42.11.12), (43.5.8), (43.10.12), (44.4.30), (44.10.22)より作成。

 しかし木材不況は容易に回復せず、表12にみられるように大正四年まで生産価額は低下し、札幌木材の職工徒弟労役夫数も四十三年のピークから半減していた。こうした状況下で、道産木材の海外輸出を企図して札幌に出張所を置いていた三井物産は、四十二年十一月札幌出張所を閉鎖し、小樽出張所に統合した(北タイ 明42・12・1)。これは北海道各地で展開していた三井物産木材事業の縮小の一環であった。北海道木材事業について藤原札幌出張所長は、木材の運送仲仕が台車積込の際、運搬中の鉄道枕木用の木材を「ステッキ」として用いることや、貨物保管料を徴収しないので管理が無責任であること、造材は造材受注者が下請けに造材させること、三井からの前貸金が造材に使われず他に流用されることなどを北海道木材業の弊害として批判している(北タイ 明42・7・23)。流通過程に問題が集中しているのである。
表-12 札幌木材の設備,職工と木材生産高
汽罐職工徒弟労役夫木材挽割(製材)
機罐数実馬力生産高価額
明40102,000石265,000円
 41154,000487,300
 4253686262137,680367,025
 437392105 105 1,240,000391,730
 4473934040139,813436,509
 4563755050?245,000
大 263754040?282,944
  353585353?241,711
  453583232?193,300
  54228505050,000354,000
  64228505052,500857,500
  742284865478,3001,409,400
  8415347552108,5001,965,000
  9622852456163,0002,922,422
 10423447350323,6711,899,618
1.明44~大4は第一,第二工場合計。
2.『札幌区統計一班』(各年)より作成。

 第一次世界大戦期には木材単価の上昇が見られ、表12によると生産高もようやく増加傾向に転じた。利益率も他産業には及ばないが、大戦期に四~六パーセントで推移していた(北タイ 大3・10・22、4・10・22、5・10・22、7・10・23)。また、大正五年には北見国美幌方面の伐採契約をなし、網走町に製材工場を建設し、直接船積みすることになった。そこで札幌工場の機能を縮小し、機械を移転したらしい(北タイ 大5・6・25)。表12の実馬力数が大正五年から減っているのはそのためであろう。
 製麻、麦酒、製粉、工作など他の札幌所在工業会社が発展するにしても、内地資本と合併する運命を辿り、さもなければ消滅したのに対し、札幌木材だけは独立企業としてこの時期を乗り切ったわけである。資源立地の方向に大きく踏み出し、その限りで「札幌の企業」ではなくなったことが成功の条件であったのではないかと思われる。