俱楽府には設立当時から、区内の名望家が多く関わっていた。谷七太郎、山崎孝太郎、花村三千之助は、いずれも商業関係者であるばかりでなく、三十二年十月区会が開設されてからは、区会議員選挙にも名を連ねていた。会議所の設立発起人の代表者であった本郷嘉之助もまた、区会議員を務めており、会議所の初代会頭である対馬嘉三郎は初代の札幌区長であった。その他、府員、会議所議員には政党政派との関わりをもつ者が少なくなかった。
こうしたことは、俱楽府、会議所ともに、常に政治的影響を受けやすい立場にあったことを示しており、たびたび俱楽府が政治抗争にまきこまれる引き金にもなった。