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馬車(馬橇)と人力車

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 明治三十九年には、馬車は乗用馬車三台、荷馬車一七三台、馬橇は乗用は不明だが、馬輓荷橇一五三台、人力車一人乗二六四台、二人乗一〇七台、乗用人力橇一人乗二二五台、二人乗九五台であった(札幌区状態一班)。大正十一年には、馬車は乗用馬車一九台、荷馬車七四一台、馬橇は乗用は五〇台、馬輓荷橇四九五台、人力荷橇五二五〇台、一人乗人力車は四六六台、一人乗の乗用人力橇は四六六台である(札幌市統計一班 大12刊)。
 馬車の馭者や人力車夫は、不正運賃請求で新聞記事となっている(例えば道毎日 明33・2・23)。また馬車や馬橇は、交通事故を起こしそうな乱暴な操作が問題となっている(例えば北タイ 大3・12・14)。新聞紙上では四十四年頃から話題となるゴム車輪(北タイ 明44・4・6)は、四十五年からは区内の人力車や乗合馬車にゴム車輪が多くなってきた(北タイ 明45・6・9)。