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第二五聯隊の出動

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 豊平村大字月寒村の歩兵第二五聯隊は、当時聯隊本部、三大隊、一二中隊の編成であったが、聯隊に出動令が下ったのは八月四日であった。十月二十日に第二大隊の第七・八中隊と第三大隊、二十一日に聯隊本部、第一大隊、第二大隊の第五・六中隊が札幌を出発した。第七師団は乃木希典司令官の第三軍に属し、聯隊の第一・二大隊は松樹山、第三大隊は赤坂山、さらに攻防に激烈をきわめた二〇三高地の戦闘に加わった。その後聯隊では、奉天、阿司牛付近、達子堡、盆台、転湾橋、小集屯、金字屯、小塔子、獅子谷などを転戦した。
 しかし、近代火器による激しい戦闘と肉弾戦は、膨大な死亡者、負傷者を出し、日本軍では死亡者は約八万四〇〇〇人、負傷者は約一四万三〇〇〇人にも達していた。第二五聯隊でも、激戦地で名高い二〇三高地をはじめ以下の戦闘を通じ、死亡者四五〇人、負傷者二二五九人、不明者一五三人に及んでいた(歩兵第二十五聯隊史)。
  年 月 日  戦闘地     死亡者   負傷者   不明者
  明37・11・26 松樹山      九人  四〇七人
     11・30 二〇三高地   三八   四四二   一五三人
     12・ 1 東小山    一八六   三八五
     12・23 同右      一七   一〇五
   38・ 2・27 奉天       三    二五
      3・ 2  達子堡     四九   二三〇
      3・ 5  前紅旗台    二二    五四
      3・ 6  劉家窩棚    二七   一九四
      3・ 8  転湾橋     四一   三一五
      3・10 北陵       四    一八
      3・30 金家屯      九    一九
      4・16 三眼井      一     二
      6・16 遼陽窩棚           一
      7・ 1  獅子谷     四四    六一
 以上のうち、札幌では原籍地別にみると札幌区一七人、琴似村一一人、豊平村七人、手稲・藻岩村各六人、篠路村四人、札幌村二人、合計五三人の戦死者を出していた。

写真-2 歩兵第二十五聯隊将校団二〇三高地占領の記念写真