しかし、近代火器による激しい戦闘と肉弾戦は、膨大な死亡者、負傷者を出し、日本軍では死亡者は約八万四〇〇〇人、負傷者は約一四万三〇〇〇人にも達していた。第二五聯隊でも、激戦地で名高い二〇三高地をはじめ以下の戦闘を通じ、死亡者四五〇人、負傷者二二五九人、不明者一五三人に及んでいた(歩兵第二十五聯隊史)。
年 月 日 戦闘地 死亡者 負傷者 不明者
明37・11・26 松樹山 九人 四〇七人
11・30 二〇三高地 三八 四四二 一五三人
12・ 1 東小山 一八六 三八五
12・23 同右 一七 一〇五
38・ 2・27 奉天 三 二五
3・ 2 達子堡 四九 二三〇
3・ 5 前紅旗台 二二 五四
3・ 6 劉家窩棚 二七 一九四
3・ 8 転湾橋 四一 三一五
3・10 北陵 四 一八
3・30 金家屯 九 一九
4・16 三眼井 一 二
6・16 遼陽窩棚 一
7・ 1 獅子谷 四四 六一
以上のうち、札幌では原籍地別にみると札幌区一七人、琴似村一一人、豊平村七人、手稲・藻岩村各六人、篠路村四人、札幌村二人、合計五三人の戦死者を出していた。
写真-2 歩兵第二十五聯隊将校団二〇三高地占領の記念写真