続いての道民大会は、「今回の講和条約が宣戦の大旨に戻り闔国(こうこく)の世論に反し戦勝の効果を空くし、国家無前の大屈辱を招きたることを憤慨」して札幌座にて開かれたものであった(北タイ 明38・9・9)。演説会の弁士は、入山祐次郎、伊東正三(北鳴新報)、土岐孝太郎(北海タイムス)、外川水哉(北世界)、滝川勇吉、上野本治、丸山浪弥(岩内新報)、古谷周久(小樽新報)、東武(道会議員、北海タイムス)、安東俊明、坂牛祐直(小樽新聞)、吉植庄一郎、桜井良三(拓殖新報)、南助松(新同胞)、平野文安(小樽新聞)、平田庚治、瀬川大作、助川貞二郎(道会議員)などであり、先の十一州同志記者大会に参加していた記者が多く加わっていた。大会では条約撤回の宣言と上奏文を採択し、上京委員に山崎孝太郎が選ばれた。
写真-4 札幌座で開かれた道民大会風景(北タイ 明38.9.12)
報道などにより〝皇軍〟の圧倒的勝利を信じていた国民は、戦時中の耐乏生活の反動も重なって講和条約や政府に対する不満が爆発し、このような動きになったものである。札幌では非戦論は生まれなかったが、講和条約の是非をめぐって国論を二分する亀裂が、これも戦争の傷跡として残ることとなった。