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凱旋軍隊歓迎会

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 以上のような講和条約に反対する動向はあったが、それにひきかえ軍隊の帰還に際しての歓迎は熱烈をきわめ、盛大な凱旋軍隊歓迎が挙行された。第七師団の第二五聯隊は十一月十一日から十三日にわたり帰札したが、十一日の光景は次のような盛大なものであった。
 停車場は紅白の幕、日の丸の提灯で飾られ、構内は歓迎、出迎えの人で埋め尽くされていた。日章旗が振られ、万歳の連呼の中で到着した聯隊本部、第一~四中隊は、午前九時に月寒の聯隊に向かって行軍するが、その後方には歓迎会の楽隊、歓迎委員、有志団体が続き、総勢三〇〇〇人の長さ約一〇町という行列をなしていた。豊平橋で豊平、白石村の歓迎会に受け渡されたが、沿道は「歓声の湧く事百鯨の一時に吼ゆるが如く、打振ふ小旗の色は白波の旭光を浴びて輝くに似たり」と描写されている(北タイ 明38・11・12)。

写真-5 「凱旋軍隊札幌着実景」(北タイ 明38.11.12)

 また、十一月十三日には札幌各宗聯合寺院による出征軍人戦死病没者追吊会新善光寺にて、第二五聯隊凱旋歓迎会が創成小学校体操場にて開催された。翌十四日には第二五聯隊にて軍旗返納式と解隊式が行われた。その後、十二月九日に札幌神社にて平和克復奉告祭、翌十日に臨時祭が執行され、ほぼ二年にわたる日露戦争は終結をみることになった。