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労働者懇親会と北海道労働組合

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 三十五年五月十八日に、円山にて約四五〇人ほどが集会して、花見を兼ねた労働者懇親会が開かれた。前年の四月に東京で二六新報社の主催で労働者懇親会が開催されており、それにならったものであろう。主催したのは北政日報であった。北政日報は小樽日報と北海民報が合併して小樽区で三十四年十二月に刊行されたものであるが(㓛刀真一 北海道・樺太の新聞雑誌)、間もなく休刊となり、今度は札幌区に移転して翌年四月三日から再刊となっていたという(小樽新聞 明35・4・11)。『札幌区史』によれば経営は上野貫一によるものであった。
 当日は北一条西二丁目の同社前に集合し、「役員は赤白の帽子に赤襟、白袴に草鞋を穿ち数旒の旗を押立て先導には楽隊、後ろには数箇の酒保を満載せる馬車を従へ」て繰り出すという、「勇ましくも亦賑やかな」様であった。東京での集会が混乱化したために、警官が厳重に警備に当たるというものものしさであった。集会では古谷周久が開会の辞を述べ、助川貞次郎が演説を行った後、以下の八項目の決議案が朗読されている(北タイ 明35・5・20)。
一、名称北海道労働組合
一、各組合若しくは職工団体より五名宛委員を出す事。
一、創立委員を十名撰定する事。
一、七月十五日迄団体より委員撰出する事。
一、北政日報社へ労働組合創立事務を委託する事。
一、会報及び加入者報告は同社へ託す事。
一、各組合は可成的北政日報を購読する事。
一、各労働者へ交渉の事。

 ここで北海道労働組合の創立をうたっているが、これが実際に創設された形跡はみあたらない。翌三十六年五月三日にも労働者懇親会が開かれているが、こちらは北星新報社の主催となっており、この間に北政日報は休刊となり、北星新報に改題したようである。