当日は北一条西二丁目の同社前に集合し、「役員は赤白の帽子に赤襟、白袴に草鞋を穿ち数旒の旗を押立て先導には楽隊、後ろには数箇の酒保を満載せる馬車を従へ」て繰り出すという、「勇ましくも亦賑やかな」様であった。東京での集会が混乱化したために、警官が厳重に警備に当たるというものものしさであった。集会では古谷周久が開会の辞を述べ、助川貞次郎が演説を行った後、以下の八項目の決議案が朗読されている(北タイ 明35・5・20)。
一、名称北海道労働組合。
一、各組合若しくは職工団体より五名宛委員を出す事。
一、創立委員を十名撰定する事。
一、七月十五日迄団体より委員撰出する事。
一、北政日報社へ労働組合創立事務を委託する事。
一、会報及び加入者報告は同社へ託す事。
一、各組合は可成的北政日報を購読する事。
一、各労働者へ交渉の事。
一、各組合若しくは職工団体より五名宛委員を出す事。
一、創立委員を十名撰定する事。
一、七月十五日迄団体より委員撰出する事。
一、北政日報社へ労働組合創立事務を委託する事。
一、会報及び加入者報告は同社へ託す事。
一、各組合は可成的北政日報を購読する事。
一、各労働者へ交渉の事。
ここで北海道労働組合の創立をうたっているが、これが実際に創設された形跡はみあたらない。翌三十六年五月三日にも労働者懇親会が開かれているが、こちらは北星新報社の主催となっており、この間に北政日報は休刊となり、北星新報に改題したようである。