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「社会問題欄」

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 三十二年十月十九日、北海道毎日新聞が蛎崎知次郎の日高紀行記「風袗漫録」の連載を開始した。これは社会主義者の眼から見た農村論で、当時としては異色の農村報告であった。蛎崎は各地で幻燈会を開催し、住民に新文明を解説し、住民から話を聞いた。
 蛎崎は、荻伏でアイヌ民族の女性から、和人から暴行されそうになったので抵抗して追い返した話を聞き、「夷族の間には節操あり義烈あり(中略)和人には道念なく夜叉犲狼の害毒あり噫文明は文迷にして開化は怪化なるか」と嘆じた。彼は、北海道旧土人保護法をめぐる論争に加わっていた。
 三十三年三月七日、北海道毎日新聞が「社会問題欄」を新設し、西川光二郎の社会問題に関する文章を連載することになった。西川は、三月から四月にかけ「社会問題欄」に、「失業者保護問題」「酒瓶の製造及販売取締法制定の重要」「雇人奨励会の労働者運動会」「日本の工業は発達せざるべし」「近時欧米労働運動上に於ける喜ぶべき二現象」「労働運動」「日本労働者懇親会」を発表し、読者に労働者の状態が変化しつつあることを教えたが、北海道にいないため、北海道の労働者の状態には触れていなかった。ただ、二六新報の開催した労働者懇親会に関する文は注目され、札幌の新聞社でも労働者懇親会を計画し始めた。北政日報社は三十五年五月十八日に円山で開催した。

写真-10 北海道毎日新聞が明治34年3月に創設した社会問題欄(3月8日)