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読者会

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 三十七年六月六日、前田英吉の家で、大日本労働至誠会の運動のため全道を廻っていた南助松、山田周平を迎えて、在札札幌社会主義者の茶話会が開かれた。来会者八人のなかに山田ミツの顔も見えた。この茶話会で札幌の社会主義者は連絡をとり、主義の伝道を進めることを誓いあった。

写真-11 社会主義者茶話会が開かれた前田商店

 ところが、七月上旬になり、竹内余所次郎が渡米準備のため上京してしまった。札幌の社会主義運動には打撃であった。しかし、麦酒会社の製瓶工を中心とする人々は、職工だけの社会主義研究茶話会を開き、消費組合などについて議論していた。
 十月になって、前田英吉飯田雄太郎平民新聞読者懇親会の開催を呼びかけた。十五日に禁酒俱楽部で開かれた懇親会には一四人が集まったが、二人は巡査であった。参会者は自己紹介をかねて所論を述べた。この会で、今後毎月一回集まることを決めたが、次第に参会者が少なくなった。
 三十八年七月二十三日に刊行された『直言』第二五号の片隅に、次のような案内が掲載された。
     札幌区及び付近の同志諸君へ
  同志の懇話会を催したいです、若し同意ならば御一報願ひます
(札幌区北一、西三、三、滝川勇吉)

 滝川の呼びかけた会合は、札幌平民俱楽部と名づけられた。