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皇太子行啓と社会主義者

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 明治四十四年夏、皇太子が北海道に行啓することとなった。北海道庁警察部は春から警戒にあたり、注意人物の言動を調査していた。行啓警戒のため、北海道庁警察部は注意人物取締規程を作成した。
  第一章 通則
第一条 左ノ各号ノ一ニ該当スルモノハ之ヲ行啓ニ関スル注意人物トシ本規程ニ依リ取締ルモノトス
  一 特別要視察人
  二 要視察人
  三 精神病者
第二条 注意人物取締方法ハ其ノ人物ノ如何ニ応シ左ノ三種ノ手段ニ依ルモノトス
 甲 尾行巡査を付スル者
 (イ) 殿下行啓期間中継続シテ尾行スヘキ者
 (ロ) 必要ノ期間ヲ限定シテ尾行スヘキ者
 乙 必要ナル期間検束ヲ加フル者
 丙 行啓中特ニ視察ヲ密ニシ其ノ所在ヲ失セサル様監視ヲ要スル者
第三条 注意人物ノ取締方法ハ其ノ人物ノ如何ニ依リ予メ之ヲ定ムト雖モ決シテ之ニ拘泥セス臨機応変ノ処置ニ出テ要ハ危害予防ノ実ヲ挙クルニアルコトヲ注意スヘシ
第四条 注意人物ノ名簿ハ各方面警衛隊長ニ之ヲ携帯セシメ取締上ノ便ニ供スルモノトス
  第二章 特別要視察人
第五条 甲号特別要視察人ニハ殿下御着函ノ前日ヨリ行啓終了ノ日迄尾行巡査ヲ付スヘシ
第六条 行啓地ニ於ケル乙号特別要視察人ニハ其ノ地御到着前日ヨリ御出発アラセラルヽ迄尾行巡査ヲ付スヘシ
第七条 行啓地外ノ乙号特別要視察人ニハ行啓中間断ナク之ヲ視察シテ所在ヲ失セサル様注意シ其ノ行為危険ト認ムルトキ及行啓在ラセラルヘキ地又ハ御通過在ラセラルヘキ汽車沿道ニ向ツテ旅行スルトキハ尾行巡査ヲ付スヘシ
第八条 汽車沿道ノ地ニ住スル乙号特別要視察人ニハ御通過前日ヨリ御召列車御通過ノ後迄尾行巡査ヲ付スヘシ
第九条 丙号特別要視察人ハ行啓期間内視察ヲ厳密ニシ其ノ所在ヲ失セサル様特ニ注意シ其ノ行動ニ異常アルトキハ甲号又ハ乙号ニ対スル方法ニ依リ之ヲ取締ルヘシ
第十条 特別要視察人ノ氏名ハ七月一日ヨリ符号ヲ用ヒ尾行巡査ニハ其ノ尾行スル特別要視察人ノ符号ヲ記臆セシムヘシ
(以下略)

(北海道庁警察部 東宮殿下行啓紀念)


 特別要視察人とは、無政府主義者社会主義者のことであった。また、各支庁長は管内各町村長に対し「社会主義ニ関シ教育上注意ノ件」と題する通牒を出した。
 北海道庁警察部がもっとも警戒したのは、アメリカ時代に、日本人無政府主義者の組織である社会革命党に参加していたと疑われた並河乳蛇小河牧夫であった。
 並河は北一一条西二丁目に住んでおり、剣術家を父に持ち本人も武術の心得があるので厳重な視察をうけたが、当時は健康を害していた。小河は手稲の前田農場で牧夫をしていたが、ローマ字研究に余念がなかった。警察の視察に驚いた農場支配人は、五月に小河を解雇した。