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勤倹貯蓄の奨励

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 明治三十二年(一八九九)、北海道庁ではまず道庁吏員を対象に各支庁を通じて「貯蓄奨励」の通牒を出した。これは、毎月月俸の一〇分の一ずつを率先して貯蓄に回す方針であった(道毎日 明32・11・17)。
 その後北海道庁は三十四年九月、官吏貯金規約を道庁吏員以外の裁判所、郵便電信局、第七師団、札幌農学校、鉄道管理局、鉱山監督署および区内のおもだった人びとにまで配布するとともに、大蔵・内務両省の嘱託として勤倹貯蓄について全国遊説していた金森通倫(かなもりつうりん)の演説会を通じて一般に普及活動を行った(道毎日 明34・8・29)。これは、対ロシアとの戦争を準備し、鉄道・電信・港湾・製鉄・造船部門等を充実させるために、国民一人一人が一日一銭ずつ貯蓄し、一年で一億七〇〇〇万円を貯蓄し、国力を強めようといった国策にもとづいたものであった(北タイ 明34・9・12~15)。
 これを受けて、札幌区をはじめ各村ごとに勤倹貯蓄組合が設立されてゆき、三カ月ごとに組合員数と貯蓄高とを各支庁より道庁へ報告することになっていた(北タイ 明34・10・9)。実際、三十五年には全道各支庁および区ごとの貯蓄高が逐一新聞で発表され、一層の普及がうながされた(北タイ 明35・11・28~12・2)。しかもこの普及活動は、大人のみならず小学校の児童をも通して徹底されてゆき、児童の勤労によって得たもの、児童需要品の節約によって得たもの、あるいはお年玉や使い走りによって得たものが貯蓄奨励され、かつ「美事」とされた(北タイ 明35・11・3)。おまけに、「勤倹唱歌」二万部を七〇〇円も支出して購入し、成績優秀な小学校へ配布した(北タイ 明35・12・25)。
 三十六年に入ると、札幌区長は区内各会社、工場において勤倹貯蓄奨励の演説会を開いて、会社職工、商店員までに拡大していった(北タイ 明36・4・12)。こうして、国力の充実は対ロシアとの戦争準備に備え官民一致した形ですすめられていった。