しかし、表11でみたように自由廃業する娼妓はあとをたたず、三十三年十二月末までに三七〇余人の娼妓のうち一三〇余人が自由廃業した(道毎日 明34・1・13)というくらい、「娼妓取締規則」第五条が娼妓の味方となった。営業主は経営に支障をきたし、貸座敷賦金を納められず営業停止処分に追い込まれるものも相次いだ(北タイ 明35・1・19)。営業主は自らの故郷である新潟・宮城・山形各県へ出向き、新規娼妓抱入れに奔走した(道毎日 明34・2・21~6・9)。
貸座敷・娼妓数が三十三年九月以前の状態に戻ってゆくのは日露戦争後のことである。表12は、明治末から大正期にかけての娼妓数と娼妓の開・廃・休業内訳および遊興人員・遊興費を掲げたものである。これをみてもわかるとおり、娼妓数がもっとも多くなるのは四十一年の四三五人である。もっともこの数値の陰には開業はもとより、廃業、休業者がいることから延べ人員にするとかなりの数が想定される。四十二年以降の開・廃・休業者数の多さは、娼妓の出入りの激しさを物語っていよう。当時の新聞によると、明治三十九年中の娼妓の廃業・自廃の内訳は次のようであった。
明治三十九年中廃業・自廃の内訳(91人)
①遊客の出金より債務弁償の上 17人
②父母・親族の出金より債務履行 11人
③自己の稼業により債務弁償 12人
④他へ寄留替え 21人
⑤疾病その他の理由により楼主より勘弁 2人
⑥楼主廃業に際し合意、廃業の事実不明 2人
⑦病気理由に自廃 12人
⑧悪意より債務不履行 4人
⑨その他逃亡者 8人
⑩死亡者 2人
①遊客の出金より債務弁償の上 17人
②父母・親族の出金より債務履行 11人
③自己の稼業により債務弁償 12人
④他へ寄留替え 21人
⑤疾病その他の理由により楼主より勘弁 2人
⑥楼主廃業に際し合意、廃業の事実不明 2人
⑦病気理由に自廃 12人
⑧悪意より債務不履行 4人
⑨その他逃亡者 8人
⑩死亡者 2人
(北タイ 明40・2・27)
表-12 明治末・大正期の娼妓数および遊興人員・遊興費 |
年 | 貸座敷数 | 娼妓数 | 開業 | 廃業 | 休業 | 遊興人員 | 遊興費 |
明38 | 40軒 | 351人 | 人 | 人 | 人 | 人 | 円 |
41 | 34 | 435 | |||||
42 | 34 | 292 | 41 | 84 | - | 95,789 | 228,900円525 |
43 | 31 | 339 | 56 | 109 | - | 98,402 | 252,190.320 |
44 | 33 | 331 | 80 | 88 | - | 105,267 | 268,006.510 |
大1 | 32 | 301 | 111 | 141 | - | 102,560 | 266,058.582 |
2 | 33 | 312 | 17 | 6 | - | 99,232 | 259,142.700 |
3 | 33 | 308 | 58 | 54 | 8 | 89,855 | 222,836.360 |
4 | 33 | 325 | 28 | 11 | - | 107,256 | 257,427.840 |
5 | 33 | 314 | 97 | 105 | 3 | 131,928 | 313,756.170 |
6 | 33 | 332 | 108 | 84 | 6 | 172,281 | 443,627.070 |
7 | 33 | 292 | 26 | 66 | - | 207,702 | 733,304.530 |
8 | 32 | 292 | 132 | 132 | - | 207,698 | 984,747.265 |
9 | 27 | 215 | 106 | 183 | - | 1164,125 | 920,190.905 |
10 | 32 | 246 | 94 | 59 | 4 | 121,346 | 590,232.370 |
11 | 36 | 276 | 119 | 89 | - | 133,687 | 661,423.795 |
数値は原文のまま。『北海道庁統計書』より作成。 |
この内訳のごとく、「債務弁償」といった負債返済の義務を負って廃業している者が九一人中四〇人と、全体の四四パーセントにも達しているのがわかる。三十五年判決の「負債は返済の義務あり」を娼妓たちは遵守せざるをえなかったのである。