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呉服店から百貨店へ

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 「北海道一の大建築今井呉服店 札幌の誇とする三層洋館 善美を尽した屋内の構造」。これは大正五年十月一日三層煉瓦造りのデパートメントが新築完成し、開業して一カ月経た時の新聞の見出しである(北タイ 大5・11・9)。十月一日の新築落成大売出しの初日は、三万人の客が押しかけたため満員につき臨時閉扉すること七回、下足取り五五人が大忙しといった創業以来の新記録を作った。

写真-25 デパートとなった今井呉服店(大5,南1西2)

 札幌のデパート、すなわち百貨店は、明治四十三年に札幌駅前の五番舘が早くも洋酒、缶詰、日用雑貨類まで扱い、女店員を雇い入れて百貨店への道を歩んでいた。今井呉服店が百貨店化を図ったのは明治四十四年の役員会で、大正元年八月の重役会議でデパートメント新築が決定され、四年五月に着工された。総建坪は一二六〇坪のセセッション方式で、一階には化粧品、和洋煙草、文房具、雑誌類、玩具、小間物、メリヤス類、旅行用品、食料品、食器、洋服、帽子、洋傘、洋品、雑貨、角巻、造花材料などが陳列され、昔式の座売場もわずかに設けられていた。二階は傘・下駄の類から呉服、玩具、さらに家具類、仕立物類、貴金属類が陳列され、休憩室まであった。三階は書画、盆栽売場のほか食堂となっており、さらに屋上にあがると庭園が設けられ、遠近を展望できるようになっており、さながら娯楽場の雰囲気も持っていた。今井呉服店の主人は、「今井呉服店はお得意様の為めに建てたものですから仮令手拭一筋お買ひがなくとも宜しいから娯楽場と思ってお暇の折には必ず来て遊んで下さい」と、デパートが商品を売るだけでなしに、娯楽場として客を引き寄せる魅力もあることをアピールした。事実屋外装飾として正面玄関上と三階軒下まわりには装飾電球が取り入れられ、夜間は暗夜に白亜の殿堂を浮かびあがらせ、一階のイルミネーションで飾られたショーウィンドーの豪華さは見る人を驚かせた(北タイ 大5・11・9、丸井今井百年のあゆみ)。百貨店開店と同時に女子店員が採用され、電話交換手、ウェートレスのほか販売員八〇人が厳しい社員教育を受けて働いていた(本章三節参照)。