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第三次小学校令と札幌

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 明治二十三年(一八九〇)十月、第二次小学校令(勅令第二一五号)が公布された。しかし札幌はもとより、北海道では市制・町村制が未施行地であるという理由から、沖縄県と同様にこの第二次小学校令の施行は見合わされた。北海道ではこれに代わって、二十五年四月の「市制町村制ヲ施行セサル地方ノ小学校教育規程」(勅令第四〇号)に基づいて、「小学校教則」(庁令第一〇号、明28・3・8)と「修業年限指定標準」(訓令第八号、明28・3・10)を制定した。これらの規程は尋常小学校の課程を第一類、第二類の二種類に区分し、さらに戸数を基準に、第一類を三年ないしは四年、第二類を二年ないしは三年の課程とした。また、高等小学校では尋常小学校のように第一類、第二類の区分こそ設定しなかったが、やはり戸数を基準に二年、三年ないしは四年の課程に細分化した。各課程によって教科目や毎週教授時数も異なるが、札幌区では創成、豊水の各校は尋常高等小学校、尋常小学校にそれぞれ区分された(西創成小学校 学校沿革誌、豊水小学校学校 沿革史)。この制度は第三次小学校令の施行まで存続した。
 さて、明治三十年代は日本の近代教育史のなかで、初等教育制度の確立期として重要な位置を占めている。そのなかでも三十三年八月に公布された「第三次小学校令」(勅令第三四四号)は、沖縄県と並んで北海道も施行対象地域に加え、国民学校令(昭16)までの初等教育制度の基本的方向を決定づける大きな役割を果たした。これによって、初めて義務教育制度が確立したのである。それではその特徴を簡単に紹介しておこう。
 第一に尋常小学校の修業年限を四年に統一し、「学齢児童保護者」への厳格な就学義務を課したことである。文部省はこの四年に加えて、将来の義務教育年限の延長を念頭に置いて、二年課程の高等小学校を尋常小学校に併置することを奨励した(文部省訓令第一〇号、明33・8・22)。義務教育年限の延長は、日露戦争後の四十年三月の「第三次小学校令」中改正によって行われ、翌年から尋常小学校六年制を実施した。
 第二に市町村立尋常小学校の授業料を原則として廃止したことである。しかし、これはあくまでも原則に過ぎないのであって、文部省は市町村財政への影響を考慮して、「特別ノ事情」がある場合には府県知事の認可を得て、授業料を徴収することができる例外規定を設けた(同前)。札幌区はこの例外規定を適用し、授業料を徴収した(後述)。
 第三に尋常小学校の教科目は必要最小限の修身、国語、算術、体操の四科目を基本とし、土地の状況によって図画、唱歌、手工のうち一科目ないしは数科目、女子に対しては裁縫を追加できることを規定した。この規定はそれまでの教科目の多さが「智識ハ却テ散漫ニ失シ確実ナルヲ得サル」(同前)という判断に基づいて、教科目数を減らし「力ヲ必須ノ科目ニ集注セシメ務メテ日常生活ノ用ニ資セシメンコトヲ期」(同前)すものであった。たとえば、従来の読書、作文、習字の三教科は統合して、国語の一教科とした。
 この「第三次小学校令」の北海道への施行に対して、自治制度の違いから「絶対的不能」という意見も存在していた。それは北海道区制や一級町村制は市町村制と比較して、法人の資格、組織、権限などに差異があり、学務委員の選任や学校組合の設置は不可能(道毎日 明33・11・3)という指摘である。これを施行するためには「第三次小学校令」の精神に基づき、「本道既往に於ける教育上の施設を改正」(同前)することが必要であると述べている。事実、北海道庁は「第三次小学校令」施行後も、「内国植民地」としての北海道の教育実態に即した簡易教育規程の改正(明34)や特別教育規程(明36)などを制定した。