明治政府は戊申詔書発布直後の地方官会議で、その趣旨の徹底を指示するとともに、内務大臣平田東助から「戊申詔書謄本」を各地方長官に配布した。北海道庁でも発布後、直ちに訓令を発し「御趣意ノ普及徹底」(戊申詔書ト本道ノ施設)を図った。また、それ以降の「支庁長区長会議」では長官からの指示事項のなかに必ず「戊申詔書御趣意普及ノ件」が挙げられていた。
それでは、札幌区での「普及」の実態はどのようであったのだろうか。北海道庁が明治四十三年三月に集約した『戊申詔書ト本道ノ施設』中の「札幌区」の項には次のように記されている。
区役所学校神社寺院等ニ於テ詔書煥発以来屢奉読会講演会等ヲ催シ又父兄会ニ於テハ終始御趣意ヲ奉講シ進ンテ実践躬行ヲ促シ児童ニハ詔書ヲ謄写シテ之レヲ投与シ日夜拝読ヲ怠ラサラシメ以テ不知不識ノ中ニ御趣意ヲ脳裏ニ刻ミ女子尋常高等小学校ハ紀念トシテ戊申文庫ヲ設立シ之ヲ開放シ以テ矯風向上ノ一助タランコトヲ期セリ
この調査によると、「区役所学校神社寺院等」が主体となり、奉読会や講演会を開催していたが、そのなかでも学校がきわめて大きな役割を果たしていた。札幌区内の各小学校への正式な「戊申詔書謄本」の配布は四十四年九月九日であるが(各校 沿革誌)、それに先だって訓話などを行った。最初に創成尋常小学校(同校は四十三年四月から中央創成尋常高等小学校と改称)の事例を同校の『沿革誌』から紹介してみよう。同校では発布直後の四十一年十月十九日には「本月十三日煥発ノ大詔ニ基キ講堂訓話」を行い、四十二年十二月六日から「毎朝朝礼ノ際第四学年以上ノ児童ヲシテ教育勅語戊申詔書ヲ交互奉読セシムルコトヽ」した。また、四十三年二月十四日には「教育勅語戊申詔書ヲ第四学年以上ノ児童ニ頒与」し、四十三年十一月七日には「戊申詔書『勤倹産ヲ治メ』ノ聖旨ニ基キ訓話」を行った。そして、「謄本」配布後の同年十月十三日には「戊申詔書奉読式」を実施した。こうして同校の『沿革誌』から関係記事を摘記してみると、戊申詔書の内容を次第に深め、児童に浸透させていく過程が浮き彫りになってくる。
次に札幌女子尋常高等小学校の事例を紹介しよう。同校では戊申詔書の「普及徹底」を「現時教育に従ふものゝ最も努力する所」として、その実践に取り組み、四十三年八月の『北海之教育』(第二一一号)中に「教育勅語戊申詔書に関する本校の施設」と題する報告を掲載している。それによると、実践内容は尋常科第四学年以下、尋常科第五・六学年、高等科というように児童の発達段階に応じて変え、それぞれに目標を設定していた。第四学年以下では戊申詔書の存在とその趣旨、第五・六学年では戊申詔書の読み方とその意義をそれぞれ指導した。また、第五・六学年では全文の「暗誦」も加えた。さらに高等科になると第五・六学年の内容に加えて、「暗写」が必須となった。これらを指導する教科には修身・国語の両科をあてた。
写真-6 札幌女子尋常高等小学校(創立三十年記念絵はかき)
日常的には第五学年以上の児童に対して「詔書当番」を設け、毎週水曜日の第一教時に先だって、「捧読」させた。また、戊申詔書の発布日にあたる十月十三日には、保護者も参列して「詔書下賜紀念奉読式」を挙行した。第五学年以上の児童には、戊申詔書の「奉写物」を常に所持させるとともに「勅語詔書奉写物奉持心得」を制定し、学校では机の左側に置くことを義務づけたり、家庭では畳の上に置くことを禁じたりした。このような「積極的」な実践を支えたのは、戊申詔書の内容が当時の良妻賢母主義教育の理念と不可分の関係にあるという、同校教員の認識であったといえよう。
明治四十四年十月発行の『戊申詔書と地方事績』によると、札幌区の「戊申詔書に関する教育」の現状と今後の計画を次のように記している。
現在の施設 | |
一 | 四学年児童より奉読し、暗誦し、暗写し得るに至らしめ且つ其意義を知らしむ |
二 | 勅語に基き別に教授細目を作り訓育上に資す |
三 | 儀式、集会あるときの外毎月一回若は毎週一回奉読訓諭す |
四 | 毎朝始業前に職員を集合し校長詔書を奉読す |
五 | 教育勅語、戊申詔書の縮写本を児童に給与す |
将来の計画 | |
一 | 勅語の衍義時間を特設せむとす |
二 | 尋常三年生以上は其学年程度に応し勅語並に詔書中の徳目を列挙したる反省録を編纂し毎日の行動を反省せしめ符号を用ひて成績を記入し一週又は一月毎に統計して修得の資と為さむとす |
三 | 其の他は大体従来の施設に拠らむとす |
ここに記載されている各学校での指導は、教育勅語への言及も見られるが、先の札幌女子尋常高等小学校の実践から一年後であるにもかかわらず、その内容が深化し、児童への浸透が相当進んでいることを窺わせる。これまでの研究では戊申詔書の奉体の主たる対象は大人や青年とされ、それが教材として採用されたのは中等学校の修身科であると指摘されているが(窪田 戊申詔書の発布と奉体)、札幌区の事例はこうした通説の再検討の必要性を示唆している。