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神社制度

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 神職の養成は明治期の北海道では重要な問題であったが、明治四十一年三月には、札幌神社北海道皇典講究分所内において、二週間あるいは三週間の神職学講習会が開設され、祭式・神祇史・国文などが講義された(北タイ 明41・2・23)。
 全道の神職を組織する北海道神職会が、四十一年九月五日に発足するが(札幌の寺社、北タイ 明41・9・7)、官幣大社札幌神社額賀大直宮司、同社渡辺房松禰宜、横山鉄五郎主典、小樽住吉神社社司星三郎、厚別信濃神社社掌野村茂らが創立委員となり、「各神職を統一し互に気脈を通じて知識の交換を為し神職たる本分を尽さんとする」ことを目的とした(北海道神職会総会報告)。規約では、事務所は札幌神社内におかれたが、のちに北海道庁内に置くと改正される(大3・4)。創立総会には、全道神職一一〇人のうち約三分の一が来会した。また大正二年十一月二十七日、札幌神職会が発会している。
 明治四十一年九月の北海道庁令第八三号「神社規定」、および大正二年六月三十日の同規定改正により、祭神、神社名、社格、明細帳、境内、創立、移転、廃合、拝観、講社、神札、登録、管理、会計、祭祀、財産造成、神職の旅行、処務、俸給、手当、旅費、営繕といった詳細が定められた(北タイ 大2・6・30)。
 また、日露戦後に整備・統合される全国の神社体系に照応した祭祀制度の確立という点では、大正三年三月二十七日内務省令第四号の官国幣社以下神社祭式の規定の役割が大きい。これは、従来官国幣社の祭祀の規定が定められても、府県社以下の神社の祭祀は放置されていたことに由来する。札幌においても、官幣大社札幌神社以外のすべての神社は、郷社・村社以下の格の低い神社であったため影響が大きい。たとえば、大正三年四月十日の北海道神職会第七回総会において、北海道庁内務部長は「御即位及大祭ノ意義一般氏子崇敬者へ周知セシムルニ努ムルコト」「各自ノ修養ニ努ムルコト」といった項目と並んで、「改正祭祀令及神社祭式遵守実行ノコト」との項目を訓示した。それは、「神社財産ニ関スル件」(明41・3・23)、「官国幣社以下神社神職奉務規則」(大2・4・21)、「官国幣社以下神社祭式」など一連の神社制度の改正をうけて、「近来ハ府県社以下ノ神社モ官国幣社ト社格ノ差異コソアレ凡テ画一ノ規定ヲ見ルニ至リタル(中略)従来官国幣社ニノミ其規定アリシ祭式及祭祀ニ関シテ同一規定ヲ以テ律セラルヽ事ヽナリ、府県社以下神社ノ祭典ヲ尊重ナラシメタリ」との訓示である。「府県社以下神社モ亦国家ノ宗祀タル意義ヲ明ニセラレ」たのが、この時期の神社行政のポイントである(北海道神職会総会報告)。