開戦が始まって間もなく、湯殿山では三月一日から七日間、皇国戦勝の祈禱会を執行し、経王寺でも九日から五日間、祈禱会を開いていた。後者は期間中、男女の有志が毎朝六時から祈禱を行い、満願の十三日は住職の柴田日光が演説をなし、賽銭・寄付金は軍資金に献納することにしている。
隆光寺では十五日から六日間、弘法大師の一〇七〇年遠忌を兼ねての祈禱会が行われ、経王寺では再び五月八日から二日間、同寺の開山日嶺の一三回忌を兼ね、第二回目の祈禱会を開催していた。さらに成田山新栄寺でも五月二十七、二十八日の不動明王の例祭に、「護麻の秘法を修め陸海軍の全勝、身体安全、国運長久を祈願」している(北タイ 明37・5・26)。これらを執行した寺院はいずれも真言宗、日蓮宗などであり、祈禱と鎮護国家・立正安国を宗旨とするだけに、このような戦勝祈禱会が催されたのであった。