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戦時下の仏教

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 日中戦争の遂行のために、政府は昭和十二年八月に国民精神総動員計画をたて、挙国一致、尽忠報国、堅忍持久のスローガンのもとで各種の運動が展開されるようになるが、各宗派でも国策に協調した運動を進めていくようになる。大谷派では「大谷派同信報国運動委員会規則」を制定して運動の指示を行っていたが、北海道教区ではこの「北海道地方部規則」を制定するとともに(東本願寺北海道開教百年史)、次の「決議」を発表した。
一、吾等は愈々祖訓を遵奉し無碍の大道に帰し益々奉公の誠を致さん事を期す。
一、吾等は宏遠の聖慮を奉体し国民精神総動員の企図に参加し和協一致、時艱を克服して以て皇運を扶翼し奉らん事を期す。
(北タイ 昭12・10・5夕)

 戦争の激化とともに各寺、説教所では戦死者の追悼法要、皇威宣揚・武運長久の祈願祭も多くなってくる。たとえば本願寺派では、法主の大谷光照を迎えて西本願寺別院主催にて、開戦一周年となる十三年七月二十六日に全道支那事変戦死者追悼法要、新善光寺では九月二日に北鎮勇士戦没将兵追悼会などが行われている。講演会でも皇道主義的な内容のものが目立ってくる。札幌市曹洞宗寺院聯合会では十三年十月五日からの銃後後援強化週間に合わせて、皇軍武運長久祈願、戦没英霊供養を行うとともに軍人遺家族の訪問、報国托鉢をなし献金をしている。西本願寺北海道教区では十五年九月六、七日に時局下興亜生活講座を開催し、その折に以下の実行項目を決議していた。
一、寺院住職と相談の上、各門信徒の能力に応じて国債消化を実行奨励すること。
一、日常生活(特に冠婚葬祭)に於て無駄、廃除を計ること。
一、毎月十六日の報息日を期して寺院を中心に遺家族の慰安、その他の行事を実行する様努力すること。

 太平洋戦争が開戦となる十六年十二月以降には本願寺派、大谷派、曹洞宗、日蓮宗などでは報国団も結成され、「墨染報国」が強調・実行されていくようになる。
 「墨染報国」として全道の僧侶が参加する組織も創設されていく。これには十三年九月に、「積極的に報国運動に乗り出し国民精神総動員の一翼として活発に活動」するために、北海道仏教聯盟の結成が企画されていた(北タイ 昭13・9・7)。この聯盟は「各地方に統一した仏教団体を作って社会教化に力を致す」との内務省の意向を受けて、道庁との協議の許で設立計画が進められ(北タイ 昭13・9・15)、約八〇〇〇人の会員を擁して十四年四月八日に発会式を行い北海道仏教会として創設となった(樽新 昭14・4・9)。総裁には道庁長官が就任し、各地に支部、分会が設置された。札幌支部(支部長・三沢札幌市長)では支部機構強化のために、十七年四月に行政官庁と緊密に連絡し教団の教化機能の企画・運営に任ずる企画部、布教の研究並びに行事・訓練の練成部、生活刷新、軍人及び遺家族の援護、青少年保護、育児・託児事業を担当する厚生部が設置されている(北タイ 昭17・4・9)。北海道仏教会はその後、十九年十二月に組織となった大日本戦時宗教報国会北海道支部に統合されていく。