札幌に教派神道が活動を開始するようになるのは明治十八年からであるが、二十年代に入り禊教、神道修成派、大成教、実行教、大社教、天理教の教会が設置され、本格的な布教・伝道活動が開始されるようになる。
禊教は活動が最も早く、十八年八月に大成教禊教社員で権少講義であった向井嘉兵衛が、大成教禊教横尾北海道第一分社の設置を申請している。彼は前年に教導職試補の申請もしており(札幌県治類典 九四六五)、後に禊教の中教正となっており、禊教北海道教会の設立にも尽力していた(北海道開発事績)。禊教は公認の関係で当時は大成教に属していたが、二十七年十月に一派の独立が認められるようになる。
神道修成派は、明治二十年九月十八日に事務所(南6東2)が火災にあっているので既設であったが、二十一年七月十七日に教務支局の設置が許可となっている。教師試補は佐々木徳次郎、総代は鈴木堅吉、高橋安蔵、三浦定吉であり、当時の信徒は二〇〇戸であったという(道毎日 明21・7・19)。大成教は、二十年七月に大成教直轄蓮門教会札幌分教会が創設になっているが(札幌区統計 明45)、二十一年九月三日に南四条西一丁目から南二条東一丁目に新築移転したので開門式が行われている(道毎日 明21・9・6)。実行教は、二十四年三月二十日に北海教院の設置許可となっていた(道毎日 明24・3・24)。
大社教は、二十四年九月十日に出雲教会(南6西5)の結社式が行われ、二十九年十月に竹森徳右衛門が出雲教会札幌分教会(出雲神社、北10西1)を設置している。出雲教札幌分教会所として公認を得るのは三十七年十二月であった。敬神教会北海分教会所(南5西4)は、二十五年六月に創設し遊廓内にあって琴刀比羅神を奉祀していた(明40・6・9中島遊園地に移転)。