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大正期の天理教

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 天理教では、大正十四年の教祖四十年祭を記念して十年以降に全国的に大規模な布教活動を展開するようになり、これによって札幌市内でも宣教所が倍増し、十五年には二三教会、教師は九三人となっていた。諸町村にも篠路(大13・12・11)、月寒(大14・1・27)、越道(豊平町石山、大14・4・21)などの宣教所が設置されており、大きな躍進を遂げていたのである。
 天理教北海道教務支庁は、大正六年三月に新十津川村から札幌へ移転されており、教務体制の中心を札幌に置くようになってくる。教務支庁は当初、北養宣教所内(南4西6)に併設するも、八年十月に南七条西一一丁目に庁舎が完成し移転していた。天理教では八年十一月十八日に札幌聯合会にて民力涵養講演会を開催するなど、国民教化の社会的活動に積極的に関与するようになってくる。敷島大教会北海支教会は北五条西一四丁目から北三条西一三丁目へ移転し、八年十一月二十五日に竣工している。十二年八月二十七日には札幌市内の北栄、北隆、北昌などの宣教所をはじめとして、全道に一〇の所属宣教所をもつようになったので北海分教会に昇格し、十三年六月七日に青年会北海支会の発会式を行っていた(敷島大教会史 直属教会編)。

写真-13 大正8年10月に庁舎が完成した天理教北海道教務支庁

 天理教研究会は、教団を離れた西村弥三吉が五年に再来道して起こしたものであり、六年六月八日に発会式と講演会が行われていた。