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住民と公民

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 市制施行の年に作成された『札幌市統計一班』大正十一年版(大11・11・15発行)と、太平洋戦争終結以前の最後の作成となった昭和十三年版(昭15・1・20発行)における位置及び地勢の項目を左に引用しておきたい。同一事象の表現に時間的変化を読みとることができよう。
 〔大正十一年版 札幌市の位置及び地勢〕
札幌市ハ北緯四十三度三分、東経百四十一度二十一分ニ位シ、北海道ノ中枢部ニ在リ、一望際涯ナキ石狩原野ヲ東北ニ扼シ、手稲藻岩ノ群巒ヲ西ニ望ミ、豊平ノ清流南東ヲ貫流ス。四辺ハ白石・豊平・藻岩・琴似・札幌ノ諸村落ニ擁セラレ、地形南北ニ長ク東西ニ短シ。町ノ区画ハ井然トシテ宛モ碁局ノ如ク、中央ニ於テ東西ニ貫キタル一帯ノ広衢ハ火防及逍遥ノ地ニシテ、之ヲ大通ト称シ、創成川其南北ニ串流シテ排水ニ便ニス。大通ヨリ南北ニ数ヘテ南一条、北一条ト称シ、創成川ヨリ東西ニ数ヘテ東一丁目、西一丁目ト云フ。其道巾ハ大通五十八間、停車場通二十間、其他ハ十五間乃至十一間、裏通ハ六間ニシテ、街衢極メテ広濶ナリ。

 〔昭和十三年版 札幌市の位置及び地勢〕
札幌市は北緯四十三度四分、東経百四十一度二十一分に位し、北海道の西南部に当り、帝都上野駅より一千百八十二粁七、本道の南端函館駅より二百八十六粁三の地点に在り。一望際限なき石狩平野を東北に控へ、手稲、藻岩の群巒を西に望み、豊平の清流南東を貫流す。四辺は白石、豊平、円山、琴似、札幌の諸町村に擁せられ、市街は南北に長く東西に短し。市街の区画は井然として碁局の如く、中央に於て東西に貫きたる一帯の広衢は火防及び逍遥地にして、之を大通と称し、創成川其の中央を南北に貫通して排水を便にす。大通より南北に数へて南一条、北一条と称し、創成川より東西に数へて東一丁目、西一丁目と云ふ。其の道幅は大通百五米四五、停車場通三十六米三六、其の他は二十七米二七乃至二十米、裏通は十米九〇にして、概ね広濶なり。

 ここに住居を有する者が札幌市住民であり、市の財産及び営造物を共用する権利を有し、市の負担を分任する義務を負うことになる(市制第八条)。住民には個人はもちろん法人も含まれ、民法による法人はその主たる事務所の所在地、商法によるものは本店所在地をもって住民の適否とした。
 住民にして次の要件を具備する者が札幌市の公民となる。要件とは①日本国民たる男子にして年齢二五年以上、②独立の生計を営む、③二年以来札幌市の住民である、④二年以来札幌市の直接市税を納めていることの四点であり、貧困のため公費救助を受けてのち二年を経ていない者、禁治産者、準禁治産者、六年の懲役または禁錮以上の刑に処せられた者は除外された。のちに普通選挙制の実現により(第三節参照)公民の要件は単に「帝国臣民タル年齢二十五年以上ノ男子ニシテ 二年以来市住民タル者ハ 其ノ市公民トス」(市制第九条)と改正された。すなわち②独立の生計と④直接市税納入の条件がなくなった。これにより公民の積極的要件は、日本国民たること、年齢二五年以上、男子、二年以来の市住民たることの四つとなり、除外規定も改正されて消極的要件は、禁治産者及び準禁治産者、破産者で復権しない者、貧困により救助扶助を受ける者、一定の住居を有しない者、六年の懲役または禁錮以上の刑に処せられた者等に該当しないこととされた。
 市公民は市の選挙に参与し、市の名誉職に選挙される権利を有し、名誉職を担任する義務を有した。すなわち市会議員の選挙権、被選挙権をもち、選ばれたらその職につかなければならないことになる。ただし病気や高齢等により辞退することのできる規定が設けられている。一方、公民権を失う要件として、租税滞納処分中、家資分散破産宣告を受け復権未決定中、六年未満の懲役禁錮刑に処せられている時、軍の現役中、戦時事変の召集中があげられている。のちに学生生徒及び志願により国民軍に編入された者も公民権を失った。
 なお、札幌市の住民数(人口)の変遷は第三章一節に、公民数(市会議員選挙権、被選挙権者)の変遷は本章三節に示した。市制施行の際、札幌の将来人口を推計した北大助教授奥田彧は、大正二十年(昭6)に一四万人、大正三十年(昭16)に一八万人に増加するとしたが(北タイ 大8・8・16~20)、町村合併などを考慮せずその年の札幌市人口と対照すれば、昭和六年一七万人、十六年二二万人をこえたから、推計以上の増加をみたことになる。