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歳出入

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 札幌市の予算は一般会計と特別会計に分けて編成執行される。まず一般会計の歳入をみることにする。歳入の基礎は市税で、区税を市制施行後も引き継いで市税としたが、税制改正と財政事情により、その内容は各年変化を遂げた。一般会計に占める市税の比率は大きく、起債(借金)のない年は六〇パーセントを越えたが、市債増加にともない低下し、図2のピーク時である昭和三年三八パーセント、九年一八パーセント、十一年二〇パーセントとなった。市民一人当たりの市税負担額は、区制時代後半に二~四円だったのが、大正十二年は七円一一銭となり、昭和六年まで六~七円台で推移した。その後四~五円台に減額したが、十一年からまた上昇をきたし、十九年にはインフレの影響を受けて一六円六銭となった。昭和七年全道市町村税の一人当たり平均は四円二五銭で、札幌市が四円六五銭だからやや高い程度であったが、十一年から全道平均との差が大きくなり、十八年には全道七円二銭に比して札幌市は一三円九四銭と約二倍の市税負担をしたことになる。
 歳出は経常部と臨時部に分けられる。それらを合算して概観すれば、教育関係経費が毎年三〇パーセントを上回ったが、昭和十五年小学校教員の給料等が地方費(道費)に移ったので二〇パーセント以下に率を下げることになる。同様に土木費も二〇パーセント前後の比率を占めていたが、戦時下にあって新規事業の抑制で急減し、五パーセント前後にすぎなくなった。これに反して財政に大きな額をもつようになるのが、警防と厚生関係の予算である。前者は空襲に備えて消防団員の増員、救護所整備、待避壕築造、挺身隊助成、学校避難階段設置等に要した費用で、後者は衛生諸費、伝染病予防、円山病院、療養所、診療院等の経費が含まれ、汚物掃除、屎尿処理、塵芥収集に力を注ぎ、墓地整備にあたったのが目立つ事業であった。これらは年により予算額の増減はあるものの、両者ともほぼ二〇パーセント前後を占めるに至った。市役所経費(行政事務費)は一〇パーセント前後であるが、戦争激化にともない応召職員の給与と職員への戦時手当等が増え、さらに公区制にともなう経費が加わり、二十年には一八・六パーセントにまでふくらんだ。このほか、起債償還にともなう公債費が必然的に処置されるが、その比率は二〇パーセントを越えた年もあり、財政全般を硬直化させる原因となった。
 特別会計は、区制期の札幌病院、基本財産、学校基本財産、慈善資金、教育特別基金の五会計を市が引き継いだ(市史 第三巻六六頁)。市制施行後さらに望楼建設準備積立金(大13~昭3)、火災損害補塡資金(昭18~22)ができ、大正十四年奨学資金、恩賜児童就学奨励金、昭和九年特別基本、十一年恩賜基本の特別会計が置かれたが、これら四会計はいずれも十九年に学校基本財産、慈善資金、教育特別基金とともに基本財産会計に統合一本化される。市営の新規事業にともない、昭和二年電気事業(のち交通事業と改称)、三年公益質屋、十二年水道費の各特別会計が設けられ敗戦後も継続した。一般会計と特別会計を合わせた市財政の総額に占める特別会計の割合は四〇パーセント前後の年が多いが、昭和十五年のように六五パーセントを越えたこともある。
 市有財産は各市長ともその造成管理に留意し、財政の基礎を固め市民の負担軽減の一助にしてきた。毎年の得喪は煩雑にすぎるが、昭和十九年についてみると、川沿町国有未開地買収(翌年自作農創設のため分筆売却)、第二高等小学校敷地(南21西5)買収、宅地(北1西3)売却、中学校校舎ほか七件新増築、特別会計基金による債券償還、買入などがあり、その年度末における財産は現金一四万円余、有価証券九八万円余、土地五三七万坪余(一一七四万円余)、建物六万坪余(八一一万円余)、特殊物件五三五万円余の合計二六六一万円余と評価されている。これを区制期末の財産評価額に比べると、三・五倍にあたる。その中で特殊な財産造成として西山造林があげられる。区制期に青木区長が計画をたて、大正二年豊平区真栄の国有地を買収し、造林会社に請け負わせて植林を開始し、十二年に国有地を、昭和十五年に私有地をさらに買収して総面積一四〇〇町歩余と拡大し、そこにからまつ、ドイツとうひ、アカシア等を植栽し、保護撫育のため間伐を施し、防火線と林道の開削を行った。昭和十三年最初の主伐を行い一万四〇〇〇石の木材生産をあげ、新施業計画にもとづき、敗戦後も市有財産として引き継がれた。