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「郊外繁昌記」

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 昭和二年(一九二七)の『北海タイムス』に「郊外繁昌記」が連載され、山鼻、円山、桑園、琴似、軽川、苗穂、白石へと周辺に伸びていく都市の実態がよく描かれている(昭2・8・12~10・26)。たとえば、当時藻岩村であった円山については、以下のように住宅ラッシュの様子を述べている(昭2・8・29)。
……至る所新築小家屋である。新開の町である。私は今年の春から、毎日のやうに円山を通ってゐるが、月毎に、日毎に新築の家屋の殖えて行くこと、実に驚くばかりである。円山四丁目の琴似街道が、つい去年の秋まで塵芥捨場(ごみすてば)であった所も、今は立派な宅地となり、道路さへ出来て分割されてをる。電灯もついて来た。これでは琴似へ続くのも今ひと息だと思はれる。

 札幌の西部は、大正十年に薮合名会社が大通西一五、一六丁目に建設した一二〇戸の住宅団地をはじめとした宅地化が進み、それがやがて西進して藻岩村の円山にも及んでいったのである。
 札幌市を中心とした周辺の諸町村は、明治後期より都市近郊町村としての性格を強めていたが、この時期はさらに顕著な動きをみせていく。その第一は、札幌に通勤するサラリーマン、労働者の住宅が諸町村にも建設されるようになり、宅地化の波が押し寄せていったことである。そして第二は、琴似村白石村などの函館本線の沿線地域に工場、事業所などが進出し、工業地化していったことである。第三は、札幌市が都市計画を策定し、諸町村の一部を計画区域に取り込み、「大札幌」形成の動きが加速していったことである。以上の三点により、この時期から急速に「札幌圏」の形成が加速化されていくことになる。