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豊平・白石町の住民組織

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 豊平町は早くに発展した地域であり、大正十一年には一七〇〇余戸へとめざましく増大していたが、町のイメージは「火葬場と塵芥捨場と細民街」であったという(北タイ 大11・11・6)。豊平町札幌の都市化の矛盾・暗部を抱えこむ役割を負わせられた。このような歪みとなる案件を解決し、「回天的発展を期」して自治の興隆をはかることを目的に創設されたのが、豊平白石町自治協会(会長・阿部与之助)であった。同会は大正十一年十一月四日に開かれた住民大会をもとに創設され、その折に「決議」には、町の発展を阻害する火葬場・墓地・塵芥捨場の移転、道路網・下水道・防火用水・学校・町名の整備、細民のために公設市場・簡易食堂を設置することなどが挙げられている。その後、同会では豊平町白石村札幌市合併なども活動目標として推進されている。同会は昭和に入って休会したようであったが、六年五月十日に豊平白石自治会(会長・戸津高知)として再発足している。
 豊平町ではまた、大正十年十一月二十七日に、「同町の発展を図り会員の親睦を敦く」する目的で豊平同志会(会長・福島利雄)が創設されている。同会でも昭和三年三月に、「豊平町並に接続町村の発展を図る爲、自治施設の実現を要望」して、①市営電車延長の件、②豊平小学校に青年訓練所設置の件、③受益負担側溝工事施工の件、④火葬場移転促進の件、⑤豊平小公園設置の件、⑥豊平町道路完成並びに同寄附受納整理の件、以上の六項目を市、市会に陳情している(北タイ 昭3・3・3)。同会は昭和八年まで活動していたことが確認できる。
 その後、豊平町では十一年九月二十五日に豊平町発展期成会(会長・小六節之助)が組織されている。同会は行幸記念事業として一〇〇余人の会員で創設され、豊平公会堂建設、例会開催、隣接町村の併合など一七項目の決議を行っている。
 昭和に入りめざましい発展をみせてきた白石町では、「白石町東部方面住民の親睦と発展に資する」目的で六年二月十一日に、東橋倶楽部(会長・加藤四郎)が創設されている。