次いで十二年の
都市計画法施行にともない、八月二十八日の第六回市会で市会議員から選出すべき都市計画
北海道地方委員の選挙を行った。選出された委員は、
松田学、関場不二彦、
本間久三、
足立庸三、
伊達翁記、
阿部与之助である(大正十二年
札幌市事務報告)。この委員選出は、新聞紙上でその方法について疑義が出されている。選出される市会を開く以前からの根回しで市会内の各派に割り振られ、市会の投票に付さず、「例の妥協的情実的銓衡委員の銓衡した各派割当の頭数で」決定したとしている(北タイ 大12・7・18、8・26、28、30)。実際に市会では、議長指名の五人の銓衡委員が指名する方式で、論議は行われずに選出した(大正十二年
札幌市会会議録)。また足立以外は、選出市会以前に新聞紙上に噂の下馬評として予測されていた人物であった(北タイ 大12・8・26)。
九月八日には臨時道会においても、
都市計画委員会北海道地方委員会委員の選出を行った。村田議長より単記無記名により選出の旨宣言されたが、安東氏から議長の推薦指名を提案されたが否決された。そのため憲政派議員が退場しようとしたので、村田議長が午前中の審議を休会とした。午後一時再開したが、憲政派議員欠席のまま、出席議員二六人で投票を行った。当選した委員は、
前田駒次、
丸山弥八、
佐藤國司、
斎藤良三、
近藤豊吉の五人であった(北タイ 大12・9・9)。
写真-1 都市計画委員会北海道地方委員(樽新 大13.5.28)