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札幌市の道路新設

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 札幌区、札幌市がどの道路をいつ開削したかというまとまった資料はない。だが区及び市の予算書には、その臨時費中の土木費に、道路開削または道路新設という項目があり、その摘要にどこからどこまで何間、幅何間等と記載されている。もちろん予算に計上されていることが開削・新設されたことにはならないが、おおむね道路開削の進行の様子は把握できる。だが、残念ながら大正十一年の市制施行以降に限ってみても、本市史で数頁にも及ぶ大きなものになるので本巻では省略する。図1(本章一節)の大正五年の地図と図5の昭和十五年の地図には、それぞれ既設道路と予定道路が実線と破線で区別されているので、道路網の広がりの様子が分かる。

図-5 札幌市街図(昭15 文資)

 両図を見比べた特徴は、北五条以北西一三丁目以西の道路開削、山鼻地区の道路開削と道路予定線(破線部)、北一五条以北西二丁目以西の道路開削、豊平町の道路開削、白石町の道路開削、南一条以北鉄道線路以南の東四丁目辺以東、昭和九年に札幌村から札幌市に編入された地域の道路予定線(破線部)である。これらの地域は前述したように人口の増加している地域でもある。
 都市計画の項でも紹介したように、特定の地域を指して様々な施設の拡充を要望する陳情書や建議案が提出されている。その中には道路についても多数登場する。いくつかを紹介すると、大正十年区会議員の佐藤善七が、明治四十三年に札幌区に編入された山鼻町に「近時山鼻町方面ノ開発進歩ノ趨勢ニ鑑ミ大札幌ノ将来ヲ達観シテ同町ニ適切ナル道路網ヲ案出決定シ以テ区ノ道路政策ヲ確定スル」ことを建議した(大正十年区会議事録)。この建議案には別紙に図面が添付されていた(同上簿書には欠落)、その図面が図6と思われる。都市計画の項で紹介した豊平町と白石町の町民大会にもとづく陳情書には、やはり同地域の道路網設定が要望されている(大正十四年札幌市会書類)。そのほか、鉄道以北の地域が桑園方面に貫通する路線開削のために、北海道大学の敷地の一部を解放するよう建議がなされた(昭和八年市会会議書類)。このように道路網に限らず、単独の道路開削や拡充についても多数の陳情や建議がなされていた。このような要望を受け入れる形で都市計画を策定し、道路網計画の策定や道路の開削や拡充がなされたのである。

図-6 山鼻町予定道路一覧図(大10.1 山鼻自治会調製)