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バス事業の市営化

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 バス事業の市営化について、昭和四年九月三十日の市会において、議員からバスの営業をすることで電車の収入を補う考えはないか、将来の電車事業のためにバスを市営とする必要があるのではないか、という質問が出された。このような質問が出るのは、質問の中に以前に七大都市の実状を調査したという言葉もあり、市会議員の中に市内交通や都市計画について関心を持っているものがいたことを示している。これらの質問に対し市側からは、相当に関心を持っており、将来的には市営バス事業を行うつもりであることが表明された。そこで十二月の市会において、「一般交通ノ便宜ヲ考ヘマシテ電車ノ補助機関ト致シマシテバスヲ経営シタイ」と「乗合自動車事業経営ノ件」が提案された。路線は六路線で、札幌停車場前を基点として山鼻師範学校を終点とする循環線、札幌停車場前から山鼻師範学校前に至る山鼻の東線、女子高等小学校前から大学病院通用門前に至る線、女子高等小学校前から東札幌駅を経て苗穂駅に至る線、札幌停車場前から市電山鼻線の終点に至る線、札幌停車場前から苗穂駅に至る線である。この件については、市長からの提案の仕方について種々議論の後、電車との関係や民営バスとの関係などについての質疑の後、可決された(札幌市会会議録 昭4)。
 その後五年一月の市会で運転計画案が公表され(北タイ 昭5・1・9)、一月十一日道庁長官に許可稟請した(札幌市公報第一九一号 昭5・11・10)。三月頃から道庁警察部保安課で調査を行っている(北タイ 昭5・3・16)。なお、『札幌市史 政治行政篇』では、道庁への稟請を三年五月としているが、これは札幌市電気局『第四回電気軌道事業成績調書』の「官庁事項」に道庁長官宛の「札幌市乗合自動車営業免許稟請」が昭和三年五月十一日とあるからである。また新聞報道には四年十二月にバス路線の認可を申請したという報道(北タイ 昭5・8・4)もある。公式の営業報告書にあるとはいえ、三年五月は早すぎるように思われる。本市史では『札幌市公報』の日付をとった。
 このバスの市営化の動きに対して、札幌乗合自動車株式会社から反対の陳情書が市会議員や関係官庁へ提出された(北タイ 昭5・2・28)。保安課では、市営バスと私営バス双方に不利にならないようにという方針で鉄道省との協議の後、一部市営バス路線の変更を求め(北タイ 昭5・3・16、25、7・30)、十月二日に免許の指令があり(札幌市公報第一九一号)、十月二十四日に営業を開始した。当初の路線は、第一号路線(山鼻西線、北4西4~西11経由~南21西13)、第二号路線(山鼻東線、北4西4~中島遊園地経由~南21西13)、第三号路線(一条橋大学線、南1東6~北15西4)で、営業距離は一四・七四四キロメートルであった(第四回電気軌道事業成績調書)。六年七月二十三日には第四号線(札幌駅~苗穂駅)が営業を開始した(札幌市公報第二〇九号 昭6・8・10)。七年二月一日からは第三、四号線を延長した(同前 第二二一号 昭7・2・1)。七年度末には青バス買収路線を含めて整理し、山鼻一一丁目線(北4西4~西11~南21西13)、中島循環線(北4西4~中島公園~西13~北4西4)、石狩線(北4西4~石狩街道~藤高女前~北15西4)、元村線(北4西4~石狩街道北8条~北10東7)、琴似線(南1西2~二十四軒)、大学病院豊平線(北15西4~白石2―2)の六線、延長二七・九五一キロメートルとなった。この後十年度に八垂別線(北4西4~真駒内四六〇番地)が増設され、山鼻一一丁目線と中島循環線を併合する形で山鼻循環線が新設された(第九回電気軌道事業成績調書)が、その他は既設路線の延長や路線変更と停留所の増設が行われた。