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その他の市内交通

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 札幌での自動車を利用したハイヤーやタクシーの開始は、解明しきれなかった。しかし大正三年七條良実が、自動車販売並びに自動車株式会社の設立を計画し、翌四年四月から二台の自動車を運転させる計画であった(北タイ 大3・11・18)。次いで四年五月尾本為次郎が設立した札幌自動車商会が、仏国最新式ダラック式二台と米国製フォード式一台を備えて、市内運転のもとめに応じた(北タイ 大4・5・5)。この頃札幌区内には、自動車が三台であった(北タイ 大4・5・7)。六年には菊川自動車商会が、新式二〇馬力車を札幌神社祭典に当て込み、二〇分間一円五〇銭などで運転した。運転手は浅野伊一郎であった(北タイ 大6・6・17)。七年には、室蘭の菊川組が乗合自動車を持込み、一時間三円で営業した(北タイ 大7・4・23)。札幌のハイヤー・タクシーのはじめといわれているのは、同年の北海道博覧会の際に、東京の菊川タクシーが、宣伝を兼ねて五台の乗用車を運行させたという話であるが、これは菊川組のことではないだろうか。菊川タクシーは博覧会後東京へ引き上げ、札幌の山口門治がその内の三台を購入して営業を開始したが、うまくいかなかった。そのため八年末に設立された宝来自動車株式会社に車両を譲渡した。この宝来自動車株式会社は、助川貞二郎らによって八年末に設立され、九年春から営業を開始した。しかし一回一円五〇銭から二円五〇銭、札幌駅~円山公園間が五円という価格で、高価すぎて客がつかず三年で廃業した。この事業をさらに受け継いだのが葛岡喜代太郎で、苦労の後立て直したといわれている(北海道ハイタク二〇年の歩み 社団法人北海道乗用自動車協会)。その他、合資会社やまと自動車商会(大15・4設立、札幌商業会議所月報 第四七号 大15・6)、合資会社昭和自動車商会(昭2・5設立、同月報 第五九号 昭2・6)など、営業目的に乗合運輸や乗合自動車業としている会社が存在するが、詳細は不明である。
 このようなハイ・タク業者も、バス会社同様に戦時統合の際に統合された。札幌では、十六年三月ヒラガ交通株式会社、札幌駅特置自動車合資会社、有限会社札幌合同自動車会社の三社に統合された。この時統合された業者は六四業者であった。さらに十八年二月第二次統合がなされるが、ヒラガ交通株式会社一社に統合される。先の二社を加え札樽地区で二四業者が統合された。さらに十九年六月、室蘭地区の統合会社であった道南交通株式会社と釧路北見地区の統合会社であった道東交通株式会社が、北海道交通株式会社(ヒラガ交通株式会社が十八年八月改称した)に統合された。これで函館地区の相互自動車株式会社(昭18・1統合設立)、旭川地区の旭川合同自動車株式会社(昭18・12統合設立)、帯広地区の帯広交通株式会社(昭18・2統合設立)と合わせて全道に四社となって、敗戦を迎えた(北海道ハイタク二〇年の歩み)。
 バスやハイヤー、タクシー業界の統合は、ガソリンの戦時統制によるところが大きいが、燃料の統制が進むと燃料のいらない人力車や馬車が再び登場してこれら交通機関の穴埋めを行った。しかし業者の横暴(北タイ 昭15・2・10)や馬糞の処理(北タイ 昭17・7・10)が問題とされた。