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時局産業の労働力不足

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 図10は、戦時期の賃金である。上昇の著しい業種として、大工、鉄道積卸人夫があげられるだろう。大工賃金は上がり続け、鉄道積卸人夫賃金は十五年六月に三円五〇銭に達すると、ようやく安定した。やや低い水準ながら日雇人夫賃金も一貫して上昇している。これらは、人夫需給がきわめて逼迫していたことを物語っている。十五年九月の新聞には、大通東二丁目あたりに毎朝六時頃から自由労働者の「朝市」がたち、一五〇人から二〇〇人の労働者が自転車で買い出しに来た業者と賃金が折り合うと契約するという。公定賃金もないために、四円~五円の高値もつけられたというが、図10の数値と一致する(北タイ 昭15・9・20)。

図-10 賃金 札幌商工会議所『月報』により作成。

 これに対して、旋盤工、製材工賃金は、変動は少ないが、やはり上昇を続け、大工、人夫よりも低いが二円六〇~七〇銭に達した。上昇しないのは、亜麻紡織賃金だが、これだけ女工賃金である。総じて賃金の上昇傾向は明瞭にみられた。
 十二年十月には、「増炭計画実施の炭坑方面に約七千、重工業方面に約三千五百、土木建築方面に約五百、室蘭市水道並に埋立工事に約一千、更に求人申込を開始した北方漁夫を加へて道内不足労力総数は約二万」といわれている(北タイ 昭12・10・9)。十四年にはさらに悪化し、一二万人の需要に対し、八万一二〇〇人ほど充足したにすぎず、四万人不足している。漁業は、八、九割充足したが、土木、鉱山関係が不足しており、北海道は「全国中未だ類例を見ない労力飢饉に直面してゐる」と評されている。鉱山では、炭坑一万五〇〇〇人、金属鉱山五三〇〇人の需要が予想され、労働力確保に向けて道庁、札幌鉄道局、職業紹介所、北海道石炭鉱業会が共同戦線を張っているという(北タイ 昭14・7・8)。
 鉄道積卸人夫の不足は、深刻であった。十三年十二月には札幌駅に毎日一五〇輛の貨車が到着し、駅は滞貨の洪水と化し、第一高等小学校生徒が荷役のボランティアを買って出ている(北タイ 昭13・12・20)。工場の熟練工も引っ張りだこで、引き抜きも横行したという(北タイ 昭13・3・23)。北海道帝国大学では、昭和恐慌期には「卒業は失業の始め」といわれたが、就職率は好転し、学生課は「他大学北大就職率対照表」をつくり、就職率の高さを自慢している。もっとも、これは文科がないためだと新聞では解説していた(北タイ 昭13・4・1)。
 札幌職業紹介所の十三年四月の実績は、求人七二六一件に対して求職者は二七四三人にすぎず、「求人地獄」であるという(北タイ 昭13・5・10)。札幌職業紹介所は七月から国営に移管したが、十四年三月までの実績でも、求人数二万一一八七人に対して、求職者数七〇七一人と約三対一の比率であった。さらに、実際に就職した者は求職者の一〇分の一の七五五人にすぎなかった。これは、求職者が「軍需殷賑景気を狙って高条件を持ち出し」たためである(北タイ 昭14・4・14)。このような状況に対して、労務動員政策も強力に実施されることになるのである。