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日銀札幌支店の設置

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 日銀札幌支店設置の動きは、その後どうなったのだろうか。十六年四月十三日付『北海タイムス』に、「経済・金融の中心『漸次札幌に移動』預金貸出一位・手形交換高二位」という見出しの記事が掲載されている。その末尾は「札幌の各銀行が、相当多額の兌換券を危険を冒し、費用を投じて日銀小樽支店間を輸送してゐるが如きは、全くこの情勢に副はざるものであり、日銀札幌支店の新設の如きは、あまりに明白なる問題と見られ、その急速なる実現が待望されてゐる」(北タイ 昭16・4・13)としている。日銀が札幌支店設置を決めた日時は不明だが、五月には、川北小樽支店長が創立委員長となり設置の準備がなされている。時局柄店舗新築は差し控え、拓銀南支店(元北門銀行本店)を譲り受け、金庫、付属建物、社宅は隣接地を買収して七月着工するとされていた(北タイ 昭16・6・12)。
 日銀支店が置かれるとどうなるのか。まず、運転資金放出許可申請が地元で行えるので、日時が短縮される、札幌組合銀行の資金繰りが楽になる、奥地の鉱工業への現金廻送が札幌を中心に行われる、ということが指摘されている(北タイ 同前)。日銀札幌支店は、翌十七年一月に開業した。十八年七月に内国為替集中決済制度がはじまったが、これは銀行間の為替上の貸借を日銀本支店間の貸借に転化するという制度であった。日銀は、全国支店から決済店を選定し、各銀行は地域ごとに母店を設置し、母店は日銀決済店に為替資金口座を開設、母店と日銀決済店間で為替尻を決済するのである。北海道の日銀決済店には札幌支店が選定された(全国金融統制会報 昭18・5)。このように、日銀札幌支店設置により、札幌の金融・経済上の地位は不動のものになったといえるだろう。