表50によると、大正十四年に約一〇〇万円の生産額を示している。この年の製菓・製飴工場は、古谷第二工場(北5東11)が最大規模で職工数一〇五人、次いで山本製菓工場(大通東6、一〇人)、札幌製菓所(南9西10、一〇人)、十字屋鈴木商店製菓所(北3東6、七人)、片桐製菓工場(南5西7、六人)、斉藤製菓工場(北5西12、五人)大和屋晒飴工場(北5西13、五人)、大和屋製飴所(南6西2、四人)、岡本製飴所(北2西2、四人)、山岸製飴所(北5西 11、三人)、尾崎製飴工場(北3東4、三人)があった(第一二回統計年報)。
昭和十二年には製菓、製飴工場として一六人の名前が掲載されているが、これらのうち営業収益税納税額の高い者を紹介すると、千秋庵製菓工場(南3西3、一六八円)、西村洋菓子工場(北4西6、一二六円)、巴屋菓子製造所(南8西6、八三円三六銭)、藤井豆菓子製造工場(南5西7、四二円八〇銭)などであった(札幌商工会議所 第二二回統計年報 昭13、札幌商工人名録 昭12)。
このほか、十五年にはアスパラガス缶詰工場として日本食品製造合資会社(琴似村、職工八〇人)、明治製菓株式会社豊平工場(札幌市豊平町、六〇人)があった(日本缶詰協会調査部 北海道アスパラガス缶詰生産近状)。