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日本共産党札幌地区委員会

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 山本懸蔵を立候補させた日本共産党は、大正十一年七月十五日、非合法で結成されていた。党員には札幌生まれの上田茂樹、美唄出身の田所輝明などがいたが、札幌への働きかけはなかったようであった。日本共産党は十二年五月、最初の弾圧を受けたが、党員徳田球一が札幌に潜伏しているという噂が流れた。日本共産党札幌での組織化を開始したのは、昭和二年十一月初旬であった。労働農民党支部の委員長で、札幌合同労働組合の幹部でもあった沼山松蔵のもとに、日本共産党入党勧誘の連絡があった。函館の鈴木治亮の推薦であったと伝えられている。
 その後三年一月中旬、オルガナイザー三田村四郎が来札し、党組織を進めた(三田村四郎調書)。普通選挙が終わったばかりの二月下旬には、全道で地方機関紙一、具体的な職場の要求を盛り込んだ工場新聞八、工場細胞三九、農村の細胞・支持者存在地一八カ所にまで拡大していた(日本共産党北海道地方組織活動テーゼ)。工場新聞はほとんどが札幌の工場のもので、帝国製麻、苗穂鉄道工場、札幌市電、北海道製綱で発行されていた。しかし昭和三年三月十五日、全国的な日本共産党に対する弾圧があり、札幌においても党員や支持者三〇人が検挙・検束された(表5)。札幌最初の治安維持法犠牲者であった。警察幹部の官舎で拷問が行われた(鮒田勝治の法廷発言)。
表-5 三・一五事件犠牲者(昭和3年)
氏名職業所属検束月日起訴月日
沼山松蔵無職労働農民党3月15日4月14日
田口右源太労働農民党3月15日4月14日
原田孝一郎無職札幌合同労組3月15日4月14日
寺島親蔵無職労働農民党 3月15日4月14日
寺島儀蔵無職3月30日4月14日
石原吉久学生3月30日4月14日
四ノ宮好雄車掌3月30日4月14日
太田四郎職工3月23日4月14日
金子正一職工4月 7 日4月14日
上村 勝職工共産青年同盟4月 7 日4月14日
武内 清無職労働農民党4月 8 日4月14日
九津見房子無職4月 8 日4月14日
堀 重夫無職札幌合同労組3月24日
阿部儀三郎車掌4月 8 日
増田博愛無職札幌合同労組3月15日
木田茂晴弁護士労働農民党 3月15日
月坂 恂無職札幌合同労組3月15日
高村岩吉画工組合員3月15日
西条寛六学生3月15日
長屋 稔学生3月15日
大立目謙一郎学生3月15日
植野謹三郎学生3月15日
安   鈎学生3月15日
大門隆三無職労働農民党3月15日
深谷作次郎無職3月23日
船木円之助無職3月28日
織田正之学生3月30日
野口祥昌教諭3月30日
亀井勝一郎学生4月21日
九津見一燈子無職4月 8 日
30人 12人 
北海道庁特別高等課「北海道ニ於ケル日本共産党事件顚末」より作成。


写真-10 日本共産党員被告(網笠姿)連行写真(北タイ 昭3.10.25)

 三年秋、深谷作次郎桂良吉織田正之河内午之助らによって党組織が再建され、反戦ビラなどを配布したりして、密かに活動していたが(森良玄外判決、北タイ 昭4・11・6)、四年四月十六日に弾圧され(市内検束者二三人)、それ以来敗戦後に至るまで、日本共産党札幌地区委員会は再建されなかった。