その後三年一月中旬、オルガナイザー三田村四郎が来札し、党組織を進めた(三田村四郎調書)。普通選挙が終わったばかりの二月下旬には、全道で地方機関紙一、具体的な職場の要求を盛り込んだ工場新聞八、工場細胞三九、農村の細胞・支持者存在地一八カ所にまで拡大していた(日本共産党北海道地方組織活動テーゼ)。工場新聞はほとんどが札幌の工場のもので、帝国製麻、苗穂鉄道工場、札幌市電、北海道製綱で発行されていた。しかし昭和三年三月十五日、全国的な日本共産党に対する弾圧があり、札幌においても党員や支持者三〇人が検挙・検束された(表5)。札幌最初の治安維持法犠牲者であった。警察幹部の官舎で拷問が行われた(鮒田勝治の法廷発言)。
表-5 三・一五事件犠牲者(昭和3年) |
氏名 | 職業 | 所属 | 検束月日 | 起訴月日 |
沼山松蔵 | 無職 | 労働農民党 | 3月15日 | 4月14日 |
田口右源太 | 労働農民党 | 3月15日 | 4月14日 | |
原田孝一郎 | 無職 | 札幌合同労組 | 3月15日 | 4月14日 |
寺島親蔵 | 無職 | 労働農民党 | 3月15日 | 4月14日 |
寺島儀蔵 | 無職 | 3月30日 | 4月14日 | |
石原吉久 | 学生 | 3月30日 | 4月14日 | |
四ノ宮好雄 | 車掌 | 3月30日 | 4月14日 | |
太田四郎 | 職工 | 3月23日 | 4月14日 | |
金子正一 | 職工 | 4月 7 日 | 4月14日 | |
上村 勝 | 職工 | 共産青年同盟 | 4月 7 日 | 4月14日 |
武内 清 | 無職 | 労働農民党 | 4月 8 日 | 4月14日 |
九津見房子 | 無職 | 4月 8 日 | 4月14日 | |
堀 重夫 | 無職 | 札幌合同労組 | 3月24日 | |
阿部儀三郎 | 車掌 | 4月 8 日 | ||
増田博愛 | 無職 | 札幌合同労組 | 3月15日 | |
木田茂晴 | 弁護士 | 労働農民党 | 3月15日 | |
月坂 恂 | 無職 | 札幌合同労組 | 3月15日 | |
高村岩吉 | 画工 | 組合員 | 3月15日 | |
西条寛六 | 学生 | 3月15日 | ||
長屋 稔 | 学生 | 3月15日 | ||
大立目謙一郎 | 学生 | 3月15日 | ||
植野謹三郎 | 学生 | 3月15日 | ||
安 鈎 | 学生 | 3月15日 | ||
大門隆三 | 無職 | 労働農民党 | 3月15日 | |
深谷作次郎 | 無職 | 3月23日 | ||
船木円之助 | 無職 | 3月28日 | ||
織田正之 | 学生 | 3月30日 | ||
野口祥昌 | 教諭 | 3月30日 | ||
亀井勝一郎 | 学生 | 4月21日 | ||
九津見一燈子 | 無職 | 4月 8 日 | ||
計 | 30人 | 12人 |
北海道庁特別高等課「北海道ニ於ケル日本共産党事件顚末」より作成。 |
写真-10 日本共産党員被告(網笠姿)連行写真(北タイ 昭3.10.25)
三年秋、深谷作次郎、桂良吉、織田正之、河内午之助らによって党組織が再建され、反戦ビラなどを配布したりして、密かに活動していたが(森良玄外判決、北タイ 昭4・11・6)、四年四月十六日に弾圧され(市内検束者二三人)、それ以来敗戦後に至るまで、日本共産党札幌地区委員会は再建されなかった。