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北海道製綱争議

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 大正中期には物価騰貴により、馬車夫、職人による争議が続出したが、工場労働者は静かであった。不満があれば他の工場に移る事が可能であったからであった。ただ、小数の豆選女工が争議を起こした。
 戦後不況下の大正十五年九月十六日、札幌合同労働組合の指導を受け、北海道製綱の労働者二四〇人が争議態勢に入った。十七日に提出した要求内容は、次のように多岐にわたっていた。
 嘆願書
、現在の日給三割増額の件
、夜勤作業は一時間につき三分増の事
、一ヶ月皆勤賞与は日給額三分支給の事
、公休日並に臨時休業は日給一人分支給の事
、半期賞与金制定の事
、一日十時間勤務せるものには皆勤者の資格を与ふる事
、日給辞令は昇給毎に交附する事
、年二回必ず昇給する事 但し男工は一回二十銭以上女工は一回七銭以上
、六ヶ月皆勤者に対しては三日の慰労休暇を与ふる事
、一年間皆勤者に対しては一週間の慰労休暇を与ふる事
、一ヶ年を増す毎に三日の慰労休暇を増す
、退職手当制定の件 但し一ヶ年以上二ヶ年迄は三ヶ月二ヶ年以上一ヶ年を増す毎に二ヶ月分を増す事
、社宅手当は一ヶ月八円以上支給の事
、米価補助は従業員一名に対し一円五十銭支給の事
、救済組合従業員管理の件
、衛生設備完成の件(洗面所便所、食堂、脱衣所新設及び設備を完成する事)
、争議費用は会社負担の事
、犠牲者は絶対に出さざる事
、争議中日給全額支給の事
右嘆願に及申候也
      大正十五年九月十七日 札幌合同労働組合
                 北海道製綱会社従業員一同

(本道ニ於ケル左翼労働組合運動沿革史)



写真-11 北海道製綱会社争議(北タイ 大15.9.18)

 この争議で強硬であったのは、劣悪な衛生設備に泣いていた女工達であった。要求項目で特に重視されたのは、第一項目の日給増額、第六項目にかかげられた「一日十時間勤務せるものには皆勤者の資格を与ふる事」と第一六項目の衛生設備の充実であった。この会社も労働時間が長いので有名で、一〇時間働いても早退扱いにされていた。交替日には、労働時間が男一八時間、女一五時間になることもあった。経営者が商業会議所の幹部だったこともあって、札幌合同労働組合は全力をあげて争議に取り組んだ。評議会本部からは、九月二十六日に日下部千代一、二十八日に国領五一郎が来札して指導にあたった(国領五一郎調書)。小樽合同労働組合からも近藤栄作らが応援に駆けつけた。鉄道従業員組合も数十人の支援隊を繰り出した。争議は、十月三日に労働者に有利な条件で解決した。この争議団のなかから、のちに札幌の有力な労働運動家となった遠藤誠が出た。争議団は十月二日に札幌合同労働組合北海道製綱分会を組織した。婦人部があったが、これは札幌最初の労働組合婦人部であった。