大正期は、女性向け雑誌が最盛期を迎え、『婦人世界』(実業之日本社 明39)、『婦女界』(婦女界社 明43)の上に、『婦人公論』(中央公論社 大5)、『主婦之友』(主婦之友社 大6)、『婦人倶楽部』(大日本雄弁会講談社 大9)、『女性』(プラトン社 大11)などの広告が新聞の第一面を飾った。各出版社は愛読者会と称して講演会を催した。大正十三年には『婦女界』、『主婦之友』愛読者会が札幌で開かれた。前者は、市立高女を会場に当時文壇の第一人者菊池寛を迎えて講演会を開催、三〇〇〇人の聴衆を集めた(北タイ 大13・9・14)。後者は、大通小学校を会場に講演と音楽会といった趣向をこらし、約一〇〇〇人の聴衆に日本女性の社会的意識への覚醒を呼びかけた(北タイ 大13・8・10)。
大正から昭和にかけて、女性向け、それも家庭婦人を対象にした講演会が頻繁に開かれている。その一つ、昭和二年から始まった「大雪夏期大学」では婦人問題が必ず取りあげられ、また三年放送開始の札幌放送局では「母のための家庭教育講座」も設けられた。大正中頃から設けられた新聞の「家庭欄」には、山川菊栄、吉岡弥生といった新しい時代に生きる女性のための論説をはじめ、よろず相談、料理、育児、化粧、流行等々が掲載され、新聞、雑誌ともに明らかに女性を読者に据えていた。昭和五年市内女子高等小学校一二〇〇人の進路希望調査では、三八パーセントが上級学校への進学を希望(北タイ 昭5・5・21)しているように、中等教育を受ける女性が増加していた。同年札幌で『月刊婦人タイムス』(婦人タイムス社)や『職業婦人』(職業婦人社)が刊行された(北海道青年大鑑)というのも、新しい女性が求めていたものかも知れない。雑誌『婦人之友』の読書会友の会の発足が六年、また『婦人公論』の読書会白雪会の発足が九年というごとく、新家庭の建設、新生活の向上・発展をめざした新しい女性たちの活動は活発であった(北の女性史)。女性たちもまたモダニズムの中にいたのである。