ビューア該当ページ

震災の影響

749 ~ 750 / 1147ページ
 大正十二年、関東地方を襲った関東大震災は未曾有の大惨事となり、札幌でも救助隊の出動、義援金の募集、避難民の受け入れ等が行われた。九月三日には北大救護班二五人が、五日には札幌市救護班一八人が札幌を出発、上京する(北タイ 大12・9・5~6)という具合に、道各市及び医師会、日赤道支部が救護班を派遣した。また、在郷軍人会や青年団等からなる応援班三五人も加わった(北タイ 大12・9・18)。義援金の募集開始もす早く、震災三日後の『北海タイムス』には、道庁、市役所、北海タイムス社等が口となって募っているのがみられる。
 東京からの避難民は、早くも五日に男女二一人がバスケットあるいは風呂敷包を持ち、恐怖と疲労と空腹のため困憊の色を顔面に漂わせて到着した(北タイ 大12・9・6)。それぞれ市内の親戚、知人を頼っていったが、次第に避難民の数が増加するにつれ、札幌市立職業紹介所札幌公益宿泊所、東本願寺でも受け入れ、それらの人びとの世話を愛国婦人会、在郷軍人会、青年団が手伝った(北タイ 大12・9・8)。十九日午前までに来札した避難民は一五五六人にのぼり、そのうち四三三人(男二七〇、女一六三)は市役所で引き受け、各業に就職させ、残り一一二二人は親戚・知人宅に身を寄せた(北タイ 大12・9・20)。
 これより先、キリスト教・仏教系各婦人会や各女学校、市役所では、慰問袋や義援物資、衣類を募って罹災地へ送った。また、義援金の方も九月十日までに北海タイムス社に約一万二〇〇〇円が寄せられた(北タイ 大12・9・11)。
 札幌市立職業紹介所口では、九月、十月と避難民が求職者となって増加したため、求人開拓を行った。しかし、肉体労働を嫌うものがいたり、一時避難者は帝都復興の声が聞かれると十月下旬にはほとんど帰還するなどしたが、中央金融機関の破壊の地方への波及により、十月には求人が減少傾向を示した(北タイ 大13・3・6)。