昭和七年一月施行の「救護法」により、大正十一年発足の保導委員制度を廃止し、方面委員制度を導入した。七年、北海道庁より札幌市方面委員として約六〇人が嘱託された。このなかには女性の方面委員三人も含まれていた(後述)。
しかし方面委員たちは、市民の生活状態、方面事業の調査研究、要保護者救護の徹底、貧窮者に対する少額資金の融通などをしようにも、後援会のような組織が必要であった。そこで七年十一月十九日、札幌市方面事業助成会を設立、会員募集にあたった(札幌市方面事業助成会 昭和八年度会務報告)。その後一〇カ月で名誉会員、特別会員、通常会員合わせて五五六人の会員を得、貧困者の救済と生活向上のために活動した(北タイ 昭8・9・10)。この方面事業助成会はその後十一年、陸軍特別大演習ならびに地方行幸記念事業の一環として、総会で財団法人札幌市方面事業協会と改称することを決議、翌十二年五月三十一日に認可された(北タイ 昭11・11・26、札幌市事務報告)。
方面委員の選考方法は、十一年六月の任期満了にともない原則として祭典区を方面区域の一単位とし、市長、警察署長の推薦によることとした(北タイ 昭11・6・27)。それとともに、十一年十一月十四日「方面委員令」(勅令)が公布され(翌年一月から施行)、統制強化の方向に進んだ。これに方面委員の性格や役割が明記されているが、それによれば「方面委員ハ隣保相扶ノ醇風ニ則リ互助共済ノ精神ヲ以テ保護指導ノコトニ従フモノ」と規定されている。この場合の設置主体は道府県とされた。
戦時下に入ると、方面委員は公区と緊密となり、十五年段階で一一方面であったが、十六年三月、一六方面に増加し、委員も一〇七人を一四〇人に増員している(北タイ 昭16・9・21)。