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公設市場

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 大正十一年八月の札幌市制施行当時の公設市場は、第一公設市場・附属青物市場(南2東1)と第二公設市場(南6西4)があり、市民が日用品を廉価にかつ品質についても安心して購入できる公的市場として機能した。大正十四年までに公設市場は七カ所、一五一店舗となった(札幌市統計一班)。第一公設市場(大8・4設立 南2東1)、第二公設市場(大11・6 南6西4)、第三公設市場(大12・4 南7西8)、豊平公設市場(大13・4 豊平町)、桑園公設市場(大13・6 北3西13)、鉄北公設市場(大13・6 北11西1)、苗穂公設市場(大14・11 北2東11)。
 昭和二年の七市場の総売上高は七〇万六二五〇円、入場者二一八万九八〇二人と、売上高では最高額を示した(札幌市事務報告)。しかし、五年から九年の不況期に入ると減少傾向を示し(同前)、営業不振のため閉鎖する市場も現われた。それは、不況の中で私設市場が各所に作られ、互いに激しい競争が行われた結果であった。私設市場は八年に五四カ所あったのが、十年には七一カ所に増加した(昭和八年道内重要事項調査書、昭和十年北海道経済事情概要)。道庁では、八年に小売市場規則を制定して私設市場の乱立防止を図ったが、結果は逆となった。十三年、札幌市が社会課と衛生課を統合して厚生課を設置した段階で、公設市場担当を廃したのも、所期の目的が薄れたこともあるであろう。