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結核予防

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 大正八年三月、結核予防法が公布された。そして札幌市の結核患者数および死亡者数の比率が全国に較べ高いことが指摘されはじめたのは、大正十一年の市制施行直後のことである。十二年一月段階で過去五年間における肺結核患者数を人口千人比でみた場合、全国一・五九、全道一・三四に較べ、札幌二・九八ときわめて高いことがわかった。これを総死亡者に占める百分率でみた場合、全国七・二八パーセント、全道六・三五パーセントに較べ、札幌一二・三〇パーセントと憂慮すべき数字が出た(北タイ 大12・1・18)。このため、札幌市では十二年度予算に市立結核療養所建設費を計上した。その一方、結核患者は増加の一途をたどったため、札幌市は結核予防法にもとづいて、各種営業者の健康診断に力を入れたり、十四年六月二十七日には札幌市結核予防協会の発会式を挙行(北タイ 大14・6・28)、結核予防の啓蒙・宣伝につとめた。以後毎年、六月二十七日を「結核予防デー」と決めた。ところが、札幌市役所が十五年九月十九日国際衛生報告を開始して以来十二月十一日までの間、結核死亡者は一一三人にのぼり、それは総死亡者六七五人の一六・七パーセントにあたった。この数字は、内務省衛生局の調査で全国第一位にあたいしたので、このため札幌市役所では何らかの対策を講ずる必要に迫られた(北タイ 大15・12・15)。
 結核は、当時「亡国病」とまで呼ばれ、札幌の患者数の多い理由としては、もともと呼吸器病が多いところ多人数雑居とか栄養不良、非衛生といったことがあげられた(北タイ 大15・5・1)。一家に一人患者が出れば家族内感染は避けられず、一刻も早く患者を隔離・療養する施設が求められた。しかし、療養所の候補地住民の強い反対により、難航に難航を重ね、設置問題は昭和三年十一月の「円満解決」を待たなければならなかった(樽新 昭3・11・2)。とにかく、大正十五年以来結核死亡率全国一の不名誉を背負わされた札幌市では、昭和二年の場合でさえ六七〇人の死亡者を出し、道内市・支庁別でも第一位、人口千人比で四・三四人といった数字を示し、前途ある青年男女の生命が次々に失われてゆくといった憂慮すべき事態にたちいたった(北タイ 昭3・6・27)。しかも、内閣統計局の発表によれば、一五~四五歳までの死亡率では同じ年齢の男性よりも女性の方がいちじるしく高いことも明らかにされた。それは、妊娠・出産による体力の消耗、粗食による栄養不良が死亡率を高めていたからである(北タイ 昭4・3・4)。
 このため、札幌市結核予防協会では市民の健康診断を密にし、予防に関する講演・活動写真で宣伝する一方、市民から結核予防の標語やポスターを募集し、予防宣伝につとめた(写真11 北タイ 昭4・6・27)。

写真-11 1等入選の結核予防ポスター(北タイ 昭4.6.27)

 昭和五年十月一日、札幌琴似村(現札幌市の一部)に札幌市立療養所が開所し、はじめて結核患者を収容した。表39は、昭和五年から十八年四月日本医療団に引き継がれるまでの入院患者および死亡者数である(数字は必ずしも市内患者数とは限らない)。十二年以降の患者・死亡者数の増加は、戦時下における生活環境の悪化、栄養不良によるものと考えられる。日本式結核予防対策は、ツベルクリン反応の検査、レントゲン検査による追跡、ツベルクリン陰性者に対するBCG接種といったパターンであるが、あくまでも国家的要請からであり、必ずしも一人一人の生命を守ろうといった思想にもとづくものではなかった。
表-39 札幌市立療養所入院患者・死亡者数
患者数死亡者数
昭527人8人35人‐人‐人‐人
 6722698321547
 77936115341751
 89939138412061
 98540125301343
 10874212923831
 119249141242347
 1210046146311748
 1310354157231841
 1416680246553388
 1514674220302252
 1612976205262854
 1714474218362157
1. 昭5.10.1開所,昭18.4.11日本医療団に移管。
2.『札幌市事務報告』より作成。