産婆と看護婦の養成は、従来通り市立札幌病院内私立札幌産婆教習所と同病院看護婦講習所において行われたし、また、北海道帝国大学医学部附属病院看護法講習科においてもなされた。表41は、この時期の札幌市の医師・産婆・看護婦数を示したものである。医師と看護婦はともに増加しているのに対し、産婆数はそれほどでもない。三者ともに、従来から頻発していた伝染病対策、目立って増加した結核患者対策、そして人口増加対策といったまさに健民・健兵を支える役割を担っていた。産婆も乳幼児や妊産婦の健康を守るため医師とともに働いた。北海道では、医師・産婆のいない村々へ、昭和二年からは拓殖産婆(拓殖費補助)を、十二年からは巡回看護婦を派遣した。このうち巡回看護婦は、十年から恩賜財団済生会と北海道社会事業協会附属札幌病院とで養成が開始された。資格は、一六歳以上二五歳以下で高等小学校卒業以上の学歴を持ち、身体強健・品行方正で、配偶者のいない者とされ、医者も産婆も居住しない農山漁村出身の女子に限られた(北海道社会事業 38、60号)。巡回看護婦は、十六年十月一日施行の保健婦規則によって保健婦と改称され、村々を巡回し、健康相談、乳幼児・妊産婦保護に熱い思いを持って献身的に働いた(牧哲男編著 愛の魂)。
十八年には道庁と北聯共催で看護婦・産婆の有資格者を対象に保健婦養成講習会を開催したり(道新 昭18・2・14)、北海道社会事業協会附属札幌病院に北海道保健婦養成所が設置され(道新 昭18・3・30)、十九年十月には全道に約三五〇人の保健婦が働いていた(道新 昭19・10・30)。
また、在学児童の健康を守るため大正十五年五月より札幌市内の一二校へ各一人ずつ学校衛生婦が任命された。職務は、トラホーム、傷病の手当、学校伝染病予防、身体検査の補助等で、多くが高女出身者で三週間の講習を受けて配置につき(北タイ 大15・5・3)、虚弱児童の養護、欠食児童対策にも取り組むのだった。