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戦時色の強化

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 「支那事変一周年」の十三年七月七日、日本国民総結束の一大示威運動が展開された。札幌市ではこの日午前十時、一般市民の国威宣揚武運長久祈願祭が札幌招魂社において執行され、正午、電車、バスは一分間停車し、市民にこぞって戦没兵士に敬虔な黙祷を捧げ、英霊の冥福を祈るとともに、出征兵士の武運長久を祈願した。また、在郷軍人分会・国婦・愛婦・男女青年団・各小中学生四万人は、早朝より各家庭を訪問し、廃品献納運動や出征軍人遺家族への勤労奉仕を行い、旅館・料理店・食堂は一菜主義の特別献立をつくった。夜は市公会堂で記念映画、講演等が行われ、記念日を一段と盛りあげた(銃後の護り 28号)。市内外の寺社ではこの日、「日支事変戦病没者追悼大法会」がいとなまれた。
 戦争の予想外の拡大と長期化は、国民生活に重圧をもたらした。十三年から十四年にかけて軍隊への動員と消耗、軍需インフレの進行、物資の不足、それに加えて消費の制限、日常生活のあらゆる面への統制、増税に公債の負担、貯蓄、献金の強制、民需産業・中小企業の整理と転失業等々、国民の負担と犠牲は増加し、その後ますます加速していった。
 十四年七月には国民徴用令が制定され、これは国家総動員法にもとづき、国民を重要産業などに強制的に就労させるもので、いわば「白紙召集令状」であった。八月十一日の内閣告諭により「興亜奉公日」が制定され、九月一日第一回の「興亜奉公日」が実施された。当時の心構えとして、「一日応召」の決意とともに、早起き、神社参拝、健康体操、無駄排除、節酒節煙、国民貯蓄、自粛自省の一日を全市民が、全道民が送った(同前 65号)。これも国民精神総動員運動の一環であり、以後毎月「一日」がその日にあてられたが、〓今井では公休日が「八」の日であったため、十四年十一月八日を期して「興亜奉公会」を発会した。〓今井の場合、第一公休日を行事日と定め、全従業員を運動部、教育部、奉仕部に分け、それぞれ体位向上運動、銃後奉公事業、社会奉仕等に参加した(北タイ 昭14・11・9)。この「興亜奉公日」は、太平洋戦争勃発後は廃止されて、毎月八日の大詔奉戴日にかわった。