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従軍看護婦

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 日中戦争から太平洋戦争にかけて従軍した日本赤十字社の道内看護婦は、『殉職従軍赤十字看護婦追悼記』によれば四六〇人にものぼる(全国三万一四五〇人、戦死者一一〇〇人)。日赤救護班に所属する看護婦(三カ年教育、一二年間の出動義務)は、全国に約二〇〇班あり、男子の応召と同様赤紙応召令状によって応召入隊した。このほか軍が新聞などで従軍看護婦を募集し、それに志願した者もいた。北大附属病院からは三五人が志願しているが、この中には中国北部の従軍中の医師から手紙がきて従軍した者十二、三人も含まれている(北海道大学医学部附属看護学校同生香蘭会五十年誌)。
 十四年八月五日、日赤道支部救護班二六人は札幌神社参拝後、札幌駅発の列車で任務地中国大陸へと向かった(北タイ 昭14・8・6)。従軍看護婦は以後、陸続と戦地に渡ったきり帰らぬ人も多かった。日赤道支部では、戦時に際して看護婦養成に力を入れるとともに、社員(正社員年三円以上、終身社員一時金二五円以上、特別社員年二〇〇円以上)獲得運動を展開した。また、篤志看護婦人会員(札幌五五〇人)は、札幌陸軍病院を訪問、看護奉仕活動を続けている。