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「札幌市小学校教育是」の制定

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 札幌市は昭和十年夏に小学校教育の基本方針として、「札幌市小学校教育是」を発表した。札幌市教育会の機関誌『札幌教育』(第一二一号)は、これを「札幌市児童に関する教育百年の大道」と報じた。この時期は美濃部達吉の天皇機関説問題に対する政府見解として、岡田啓介内閣が「国体明徴声明」を出したそれと重なる。それは八年に北海道庁学務部が「本道教育進展の為め、その基準となるべき目標」として制定した「北海道町村教育是」に準拠していた(札幌教育 第一二一号)。札幌市の教育是は八年秋に橋本市長の意向を受け、筒井銀平(札幌市教育課長)、伊坂員維(札幌市視学)ら九人の教育関係者が一年半近く検討を重ねて作成した。
 それは「教育ノ指標」「経営上ノ要点」「教育者ノ指針」の三つの柱から構成されている。そこでは「我ガ国教育ノ理想ハ、教育ニ関スル勅語ノ聖旨ヲ奉体シテ之ヲ実現スル」こととしたうえで、札幌市の「都市トシテノ特異性」と「本道文化ノ中心タルノ地位」に着目し、その都市的・文化的特性を踏まえたうえで、「稍モスレバ軽佻詭激ノ思想ニ乗ゼラレ易キ都市ノ弊風ヲ打破シテ、明徴熾烈ナル国民的自覚ノ徹底」を図ることが強調されている。
 「教育ノ指標」は札幌市の教育是の構成要素を提示しているので、それを紹介してみよう。
 敬神崇祖ノ信念涵養 敬神ノ念、崇祖ノ誠ハ我ガ国民道徳一貫ノ精神ナリ。常ニ親シク本道ノ総鎮守タル札幌神社ヲ仰グ本市トシテハ、特ニ其神徳ニ感恩スルト共ニ、先人ノ偉業ニ対シ報本ノ念ヲ涵養セザルベカラズ。
 質実剛健ノ気風作興 国家ノ健全ナル発展ノ基ハ国民ノ質実剛健ナル気風ノ作興ニ在リ。特ニ浮華放縦ノ風習ニ染ミ易キ都市ノ実情ニ鑑ミ、本市ニ於テハ宜シク意志ノ鍛錬ニ重キヲ置キ、質実剛健ナル人格ノ養成ニ一層ノ努力ヲ致サザルベカラズ。
 公民精神ノ養成 誤レル自由思想ニ乗ゼラレ、個人ノ利害ニ終始シ易キハ一般都市ノ実状ナリ。本市ニ於テハ立憲治下ニ於ケル国民参政ノ真意ト地方自治ノ本義トニ徹セシメ、一致協力国家公共ニ献誠スルノ美風ヲ涵養シ、公民的態度ヲ確立セシムルコトニ一層ノ努力ヲ拂ハザルベカラズ。
 勤労愛好ノ修練 勤労ヲ愛好シ刻苦奮励ノ生活ニ感謝ヲ捧グル人ニシテ、始メテ本市ノ将来ヲ托スルニ足ル従ッテ勤労ノ愉悦ヲ覚ラズ、労作ヲ厭フガ如キ憾ミアル都市青少年ノ実情ニ鑑ミ、本市ニ於テハ勤労愛好ノ修練ニ一段ノ努力ヲ要スベキナリ。
 身体ノ錬成 堅忍不抜ノ意志ト明朗清爽ノ心境トハ一ニ強健ナル身体ノ錬成ニ俟ツ。然モ都市ニ於ケル環境ハ健康ノ保持増進上自然ノ恩恵ニ欲スルコト少シ。宜シク本市ニ於テハ体育ノ振興、衛生ノ改善ニ努メ、特ニ冬期間ニ於ケル運動ヲ奨励シ、以テ身体ノ錬成健康ノ増進ニ不断ノ努力ヲ拂ハザルベカラズ。
 情操ノ陶治 真善美聖ヲ憧憬スル情操ノ涵養ハ、人格完成ノ基礎的教養ナリト言ハザルベカラズ。本市ニ於テハ其生活ノ実状ニ徴シ、善美豊潤ナル情操ヲ陶治シテ精神ノ純化ニ一層ノ努力ヲ拂フベキナリ。
 科学心ノ啓培 都市文化ノ複雑ナル間ニ処シテ各自ノ生活ヲ合理的ナラシメ、進ンデ文化ノ創造進展ニ寄与セシメンガ為ニハ、常ニ科学心ノ啓培ヲ重視スルノ要アリ。本市ニ於テハ教育上特ニ観察実験ヲ重ンジ、工夫創作ノ態度ヲ養成スルト共ニ、各種ノ文化施設ヲ利用シテ一層科学心ノ啓培ニ努力ヲ致スベキナリ。
 職業的教養 都市ニ於テハ職業ノ分野多岐ニ亘リ、其生活ノ実状ヨリシテ青少年ノ職業ヲ求ムル者年ヲ追フテ増加スルノ傾向ニアリ。従ッテ本市ニ於テハ常ニ職業指導上児童ノ個性ヲ尊重スルト共ニ、生活トノ交渉ヲ緊密ニシ、進ンデ産業ノ振興ニ寄与スルニ足ル職業的教養ニ力ヲ致サザルベカラズ。

(札幌教育 第一二一号)


 ここに掲げた八項目の構成要素は、北海道庁の教育是(敬神崇祖、郷土愛の涵養、科学心の啓培、勤労の修練、職業的陶冶、情操陶冶、体育の振興、政治的生活の訓練、社会的生活の訓練)と共通する点が多いが、札幌市のそれは都市的・文化的視点から課題が設定されている。これが北海道庁の教育是とは大きく異なっている。
 「経営上ノ要点」では八項目の構成要素の内容をそれぞれ具体的に展開したものである。「身体ノ錬成」の項を例に引くと、そこでは「体育指導上ノ力点」「体育施設ノ充実」「衛生ニ関スル施設研究」「栄養ニ関スル施設研究」「身体検査ノ重視」「姿勢検査・体力測定ノ実施」が掲げられ、「健民健兵」政策の先兵としての役割を担っていた。また、「教育者ノ指針」は教員の心構えを述べたもので、「勅語・詔書ノ聖旨ヲ畏ミ、深ク思ヲ是ニ致シテ益々修養ニ努メ、以テ教育者トシテノ品位ヲ確立シ、愈々教育ノ聖域ニ安住シ其ノ本務ニ精進スベ」きことを要求した。
 昭和十二年七月、北海道庁長官・石黒英彦北海道各市小学校協議会に対し、「本道都市初等教育の実状に鑑み一層之が内容の改善を期する具体的方策如何」を諮問した。その答申の骨子は「精神的側面」「身体的側面」「学校経営一般」「教育者の修養」に区分されている。このなかで、「精神的側面」と「教育者の修養」の内容に関しては、札幌市の教育是の影響を受け、きわめて近い関係にある。おそらく札幌市のそれを参考にして作成したものと思われる。
 札幌市に隣接する諸町村のなかでは、篠路村が昭和十年一月に「篠路村教育是」を制定した。この教育是では「教育」を「村治各般ノ基調」とし、「一村機構ノ中枢的存在」に位置づけるとともに、その綱領として「日本精神ヲ顕揚シテ国民的生活ノ向上ヲ期ス」「農民道ヲ確立シ郷村文化ノ建設ヲ期ス」ことを掲げた。また、それを達成するための具体的な指標としては、「敬神崇祖」「精神生活ノ強調」「農民道ノ確立ト郷土愛ノ涵養」「科学心ノ培養」「産業教育ノ強化ト経済生活ノ訓練」「体位ノ向上」「政治的生活ノ訓練」「社会的生活ノ訓練」「教育機構ノ整備ト其ノ連絡統制」「教育実務者」の一〇項目を示した(篠路村役場 経済更生計画書 昭13)。特に、「教育実務者」の項では教員を「一郷一村ノ教化指導ノ中心」として位置づけ、村での役割の重要性を強調した。