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札幌少年職業指導協会の発足

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 昭和九年二月、小学校教員、職業紹介所所員、商工業関係者、雇傭主、就職青少年を構成員とする札幌少年職業指導協会が正式に発足した(創立総会は八年十一月)。同協会は札幌市立職業紹介所少年部と連携を保ちながら、それと「聯絡小学校」とで行われる「少年職業ノ指導、紹介」などに関する業務の支援を目的とした任意団体である。

写真-7 札幌少年職業指導協会入会申込書

 同協会ではその目的を達成するための事業として、「職業指導並ニ紹介ニ関スル講習会、講演会、座談会、展覧会等ノ開催」「職業指導紹介ニ関スル会報其他必要ナル印刷物ノ刊行」「勤続少年並職業指導ニ関スル功労者ノ表彰、就職青少年ノ慰安会ノ開催」を掲げていた(少年職業 創刊号)。同協会の初代会長には札幌助役関崎不二夫、副会長には札幌市教育課長・筒井銀平と同社会課長・島崎林蔵がそれぞれ就任した。同協会の設立当初の会員数は「少年少女会員」も含めて、一八九七人に達していた(札幌市役所社会課 札幌市社会事業要覧 昭11)。ちなみに、史料上で確認できる最大の会員数は十四年の三〇八七人であった(少年職業 五-二)。
 同協会の設立は当時の札幌の実業界の動向と密接な関係を有している。当時の実業界では経済不況から脱し、景気がようやく好転したのを契機に事業の拡大を企図していた。しかし、若年労働力としての小学校卒業者の確保に関しては前述の退職率の高さも相俟って、全体として見るならば、求人数が就職者数を大きく上回っていた。事実、同協会設立の前年の八年には求人数が三六六二人であったのに対して、実際の就職者数は八九五人に過ぎなかった(少年職業 創刊号)。
 こうした状況を打開し、一定の労働力を確保するための方策として、実業界から強い要請を受けて設立されたのが同協会であったと思われる。従来から小学校卒業者の就職は、原則として「児童→学校教師→職業紹介所→雇傭主」というプロセスを経て決定されていたが、同協会はそれをより強固なものにしていくとともに、「職業指導」の徹底を通して上級学校への進学者を抑制し、「第二国民」と呼ばれていた少年少女を実業界へ「配分」するとともに、在職者の職場での定着率を高める役割を担っていた。
 しかし、上級学校への進学者の増加現象に歯止めをかけることができず、当時の札幌の実業界では慢性的に若年労働力が不足していたといってよい。それを裏付ける具体的な数値を示してみよう。西創成尋常小学校『学校だより』によれば、同校の十一年三月の卒業生は四一七人であった。そのうちの三八〇人は上級学校への進学者で、就職者はわずかに三七人であった。実に九〇パーセント以上の卒業生は中学校、実業学校、高等小学校へ進学していたのである。