ビューア該当ページ

戦時体制と幼稚園

913 ~ 913 / 1147ページ
 一五年戦争の長期化は、札幌での幼稚園経営にも深刻な影響を及ぼしたが、その事例をいくつか紹介しておこう。私立北光幼稚園では十八年三月に教会堂や牧師館とともに園舎も陸軍被服廠札幌出張所に接収された(創立60周年記念誌)。日本メソジスト札幌教会はその経営母体である北光教会に対して、私立明星幼稚園の園舎を提供した。これに伴って、私立明星幼稚園は大通東六丁目の弘道会館に移転することになった(札幌教会百年の歩み)。
 また、私立札幌大谷幼稚園では十九年九月、北海道庁の要請により閉園して、「社会事業法」に基づく戦時国民保育所に施設転換し、大谷国民保育所と改称した(北海道教育史 全道編三)。私立堯祐幼稚園も二十年四月に施設転換し、堯祐国民保育所となったが、園舎は敗戦直前に海軍に接収された(同前)。私立桑園幼稚園では二十年八月に海軍から園舎借上の依頼があったが、実行はされなかった。しかし、同幼稚園では一時閉園の措置を講じるとともに、ピアノの「疎開」を行ったことが記録に残っている(60年のあゆみ)。