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札幌祭と見世物

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六月十五日は、札幌神社の例祭で、アカシヤの花が停車場通りいっぱいに散った。札幌神社といっても、子供の頃は、遠い円山の宮の森の神社にお詣りにいった記憶はなく、すぐ町中を流れる創成川の上にかかる見世物小屋へ誘われるように引き寄せられたものであった。六月の風は、北海道の夏の訪れを告げるが、その風に乗って、ジンタの音が聞こえてくると、子供にとっては祭なのである。リンゴの花の甘酸い匂いが近郊に漂うのも、この季節である。
(郡司正勝 創成川上の見世物の思い出)

 大正二年生まれの演劇研究者、郡司正勝は大正期の札幌祭の雰囲気を伝える。
 昭和九年の祭では、創成河畔に並んだ興行物は、赤林サーカス団、山根レビュー、太田オートバイ曲乗、田村軽業レビュー、金井器械人形、池野地獄極楽、伊藤奇術、佐々木小動物、百井娘足芸、芋屋奇術隠身法、河原奇術人間変化、中野犬猿芝居、菅野レビュー曲芸、平地拳闘、宇佐美レビュー団、山本八幡藪抜け、拳闘対柔道大試合など(北タイ 昭9・6・14)。赤林サーカス団は、空中大飛行、二十数名からなる交響楽団にジャズバンド、レビューガールと盛りだくさんであった(北タイ 昭9・6・13、14)。創成川は、「全国的に有数な、見世物が集まる場所」であったのだ(郡司正勝 人形と人形芸)。
 一方、日活館は十三日付に一面広告で、「全世界に謳はる大感激篇、当市お祭り興行中の最大収穫」と銘打ったオールトーキー「忠臣蔵」を、松竹座はチャップリンの「街の灯」を、そして各常設館それぞれ昭和九年度のお祭り興行を競った。
 西創成小学校の『学校日誌』によると、昭和九年六月十四日は、朝礼にて、「高橋貞先生より祭典に際して、特に西創成児童たるの自覚をもつ様にとの訓話」があり、午前中で授業は終わり、祭典当日の十五日は休業、明くる十六日も一時限で児童は下校であった。官公庁は二日間半ドン、全道の銀行は休業となった。そして札幌祭は、学校の夏服への衣替えの節目となった(札幌まつり さっぽろ文庫68)。