開店(明31)以来、冨貴堂は積極的な活動を行って札幌の出版界を支えてきた。それがこの時期になると、札幌だけではなく全道を対象とした活動を行うようになった。
大正十年(一九二一)、全道に販売網を広げていた小樽の近江堂書店が閉店した。その全商品と取引先はそのままそっくり冨貴堂に引き継がれることとなり、同店の卸部は急激に拡張した。その後毎月「冨貴堂だより」を発行して全道の取引先に配布宣伝したり、セールスマンを定期的に巡回させるなど積極的に活動し、「札幌の冨貴堂」から「北海道の冨貴堂」へと発展した(七十年のあゆみ 冨貴堂小史)。
同年北海道国定教科書特約販売所が設立し、教科書は札幌から全道へ送られることになった(市史 第三巻)。冨貴堂店主中村信以(のぶしげ)は、その代表者に就任している。同店は教科書のほか、地図、楽器、運動具、理科器械等も扱っており、それらを各教育機関に販売・取次することで学校と深く結び付いていた。北海道の学習用図書、副読本、ノート類も冨貴堂から道内の小学校に頒布された(七十年のあゆみ 冨貴堂小史)。冨貴堂楽器部が創設(大7)されて以来の、ピアノの納入先を記した資料「ピアノ御買上先芳名録」(前川公美夫氏提供資料)から、当時の冨貴堂と札幌市内の学校との繫がりの一端を見て取ることができる。そこには本節一項で述べたように、市内の主な学校が網羅されているほか、手宮小学校(小樽)、下富良野小学校、釧路第一小学校等全道各地の学校の名も見られる。
このように、冨貴堂は常に教育と深く関わってきた。ちょうど全国的に自学自習を基本とする教育指導が盛んになってきた(七十年のあゆみ 冨貴堂小史)こともあり、同店の出版物に『北海道中学校入学試験問題集』(大14)や『北海道夏休練習帳』(同)等教育関係書が多くなっている。
教育関係の他に特筆すべきは「北海道詳図」である。これは東京の小林印刷所に編纂から印刷までを依頼している。中村信以にとってこの地図の出版は「本屋としての任務中最も重大なるものゝ一つ」(北タイ 大15・8・23)であった。以後「北海道詳図」は、「後世に遺すべき地図」(七十年のあゆみ 冨貴堂小史)として改訂続刊されている。
この時期、開道五十年記念北海道博覧会(大7)や国産振興博覧会(大15)を契機として郷土史(誌)の刊行が増加した。越崎宗一「終戦までの北海道内地方史誌」(北海道史研究 5所収)を見ると、大正から終戦時までに刊行された郷土史(誌)は二〇二冊あり、そのうちの一六〇冊近くが大正七年以降のものである。こうした郷土史(誌)ブームの影響をうけてか、冨貴堂でも『北海道郷土史研究』(昭7)や『北海道の歴史』(昭8)、『蝦夷地は歌ふ』(昭10)のような郷土関係のものを出版している。特に『蝦夷地は歌ふ』は、北海道の伝説、史跡、紀行、風物を収め、「本道に住む人は元より内地方面からの観光客に取って本道を知る上に必読の書」(北タイ 昭10・12・20)であった。なお、冨貴堂の出版物は表11のとおりである。